日本大百科全書(ニッポニカ) 「ダキーキー」の意味・わかりやすい解説 ダキーキーだきーきーAbū Manūr Muammad Daqīqī(940ころ―980ころ) ペルシアの詩人。トゥースまたはバルフの生まれ。サーマーン朝に宮廷詩人として仕えた。自然描写に優れ、多くの頌詩(しょうし)、叙情詩を詠んだが、最大の業績は王の命によりイランの神話、伝承に基づく民族叙事詩を作詩したことである。しかし約1000句作詩の段階で奴隷に殺害され、未完に終わった。彼の作品はのちにフィルドウスィーの『シャー・ナーメ』に収められた。[黒柳恒男]『フィルドゥスィー著、黒柳恒男訳『王書シヤー・ナーメ』(平凡社・東洋文庫)』 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ダキーキー」の意味・わかりやすい解説 ダキーキーDaqīqī, Abū Manṣūr Muḥammad [生]? バルフ?[没]980頃ペルシアの詩人。サーマーン朝の王に仕え,若くして奴隷に刺殺された。大民族詩人フィルダウシーの先駆者として知られ,『王書』 Shāh-nāmeの作詩に着手したが未完に終った。彼がつくった約 1000句の詩はのちにフィルダウシーの『シャー・ナーメ』に収められた。頌詩,抒情詩も断片的に現存。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報