ダールマン(読み)だーるまん(英語表記)Friedrich Christoph Dahlmann

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ダールマン」の意味・わかりやすい解説

ダールマン
だーるまん
Friedrich Christoph Dahlmann
(1785―1860)

ドイツ歴史家、政治家。ウィスマール市参事会員の家柄に生まれる。ハレウォルフに学び、またアスペルンの戦いに参加してナポレオン軍と戦った。1829年ゲッティンゲン大学に招聘(しょうへい)され、政治学、歴史学を講ずるかたわらハノーバー下院議員として憲法制定に参与した。1837年新国王憲法を破棄したとき、これに抗議した「ゲッティンゲン七教授事件」の主導者となり、国外追放に処せられたが、のちボン大学教授に復帰した。主著『デンマーク史』や『イギリス革命史』、『フランス革命史』を通じて自由主義を説き、政治的歴史叙述の創始者となるとともに、もっとも影響力ある政治家の1人となった。三月革命の際にはフランクフルト国民議会で小ドイツ主義の憲法草案を作成し、のちプロイセン上院議員として反動攻勢に抵抗したが敗れ、1850年引退してボン大学に戻った。ワイツと共編の『ドイツ史料集』は今日も古典的価値を有している。

[岡崎勝世]

『ハンス・ウルリヒ・ヴェーラー編、ドイツ現代史研究会訳『ドイツの歴史家』第1巻(1982・未来社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ダールマン」の意味・わかりやすい解説

ダールマン
Dahlmann, Friedrich Christoph

[生]1785.5.13. ウィスマール
[没]1860.12.5. ボン
ドイツの歴史家,政治家。 1812年キール大学教授,29年ゲッティンゲン大学教授となり,37年反動的なハノーバー国王エルンスト・アウグスト1世の憲法破棄に抗議し,いわゆる「ゲッティンゲン七教授事件」の一人として追放された。 42年以来ボン大学に迎えられて歴史学と政治学を担当し,48年の三月革命後ドイツ憲法立案の議に加わり,フランクフルト国民議会でプロシア代表として小ドイツ主義派を指導したが,国王,議会の支持を得られず挫折。 50年3月エルフルトの連合制憲議会に出席,同年夏にプロシア上院に列せられ保守勢力に対抗して戦ったが益なく,のち政界を引退。主著『デンマーク史』 Geschichte von Dänemark (3巻,1840~43) ,『イギリス革命史』 Geschichte der englischen Revolution (44) ,『フランス革命史』 Geschichte der französischen Revolution (45) 。また『ドイツ史籍・史料解題』 Quellenkunde zur deutschen Geschichte (30) は,その後 G.ワイツによって継承され,『ダールマン=ワイツ』の通称で今日まで増補改訂を重ねている。

ダールマン
Dahlmann, Joseph

[生]1861.10.14. コブレンツ
[没]1930.6.23. 東京
ドイツ人イエズス会司祭。インド学者。上智大学創立者の一人。 1908年来日。 14年から東京大学ドイツ文学を講じ,のちその教授となった。上智大学ではドイツ文学のほかインド哲学を教えた。主著『ニルバーナ』 Nirvâna (1896) ,『仏陀』 Buddha (98) ,『インドの旅』 Indische Fahrten (1908) ほか。

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