カルカッタ(英語表記)Calcutta

翻訳|Calcutta

デジタル大辞泉 「カルカッタ」の意味・読み・例文・類語

カルカッタ(Calcutta)

コルカタの旧称。

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精選版 日本国語大辞典 「カルカッタ」の意味・読み・例文・類語

カルカッタ

  1. ( [英語] Calcutta ) インド共和国東部、ガンジス川の分流、フーグリ川にのぞむ都市。インド屈指の貿易港で、ジュート、米、茶などを輸出。一七七四年から一九一二年まで、イギリス領インドの首都であった。コルカタ。

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改訂新版 世界大百科事典 「カルカッタ」の意味・わかりやすい解説

カルカッタ
Calcutta

インド北東部,西ベンガル州の州都。人口458万(2001)。ハウラーHowrahなどの周辺諸都市と大都市圏(人口1322万,2001)を形成する。2000年コルカタKolkataと改称。1772-1912年には英領インドの主都であった。周辺は地形的にはガンガーガンジス)川デルタのなかでも老衰期に属し,堆積の結果池沼状に寸断された河道,自然堤防,後背湿地の発達を特色とする。そのためマラリアコレラなどの熱帯性疾病が発生しやすい。ベンガル湾頭から約110km離れているが,フグリHooghly川の潮差は3~6mもあり,外航船の航行は困難で,また自然堤防上でも冠水しやすい。しかしコロマンデル海岸ぞいに北上してきたヨーロッパ人にとって,ガンガー川デルタの西端にあるフグリ川は,ベンガルのなかで最短地点にあり,かつ同川水系を通じてガンガー平原の内陸地方への進出が容易であった。イギリス東インド会社のチャーノックJ.Charnockがここに最初にやって来たのは,1686年であった。フグリ川東岸にそう自然堤防上の現在のカルカッタの地には,当時,北からスターヌティSutānuti(現在のハウラー橋北方),カーリーカタKālīkata(現在のダルフージ広場周辺で現地名の語源),ゴービンドプルGovindpur(現在のマイダンMaidan南部)の3農村集落があるのみであった。

 フグリ川は16世紀までのガンガー川本流で,同川ぞいにヒンドゥー教聖地が立地していた。その一つが,現在,市の南部に所在するカーリーガートで,そこに至る巡礼道路がスターヌティからのびていた。フグリ川はカルカッタの南で大きく西に曲流する。曲流部は沈泥の堆積のため浅くなり,外航船の遡航限界であった。1686年にはチャーノックはすぐに追われて退去し,90年になってスターヌティでの商館設置に成功する。96年にはカーリーカタでウィリアム要塞の建設許可(1702完成),98年には前記の3村の購入許可を得た。こうして〈ベンガルにおける要塞化された商館と居留地の建設〉というイギリス東インド会社の長年の夢が彼によって実現された。これがカルカッタの発端であった。

 18世紀初めには,カーリーカタにはウィリアム要塞とその東の公園と教会を取り巻いてイギリス人の住宅地,その北に他のヨーロッパ人住宅地があり,ホワイトタウンと呼ばれた。一方スターヌティにはインド人の商人が,ゴービンドプルにはインド人の下層階級が住み,そこはブラックタウンと呼ばれた。1756年のシラージ・ウッダウラーによるカルカッタ攻略,翌年のプラッシーの戦でのイギリスの勝利を契機に,カルカッタは〈ベンガルにおける商業根拠地〉から〈英領インドの支配拠点〉へと変貌し,現在の都市構造の基本ができ上がった。1758年から15年をかけて星状形稜堡の壮大な新ウィリアム要塞が現在地に完成し,その北・東・南面には戦時に備えて広大なオープンスペースが設けられた。現在のマイダンである。イギリス人の高級住宅地もマイダン南東方に拡大した。そこと旧カーリーカタの官庁業務地区とを結ぶ道路が,マイダン東縁にそうチョウロンギー(現,ネルー)通りで,高級商店,ホテル,新聞社などのたち並ぶ目抜通りとなった。一方インド人商業・住宅地区も北方および北東方に大きく拡大した。19世紀にはいってからは,マイダン周辺における政庁(1804),博物館(1814),市庁舎(1817),高等法院(1872)などの諸公共建造物の建設,ウェリントン道路などの幹線道路の拡幅建設,ハウラー,シアルダーの鉄道ターミナル駅の建設,市南部のキデラポール,ガーデンビーチ地区における港湾施設の拡充整備がなされていく。工業化も1850年代からジュート工業の勃興をもとに発進する。1910年代には現ビハール,オリッサ両州の山岳部で開発された鉱産資源をもとに,市の南部および市外北方に各種の金属・機械工業が立地していった。人口も1850年の41万3000から1911年には101万6000,41年には216万7000へと増加していった。

 しかし1947年の独立はカルカッタに大きな打撃を与えた。食料,ジュートの供給源であるガンガー川デルタの主要部を,印パ分離によって喪失し,そこから約70万人の難民が流入した。難民は市の東および北方を占居し,市を取り巻く低質住宅地区(バスティーbustee)をつくりあげている。加えて都心商業地区に属する行政区の人口密度は16万人/km2という過密ぶりを示し,市平均でも3万1000人(1971)に達する。現在,カルカッタは住宅,衛生,交通などの都市生活の全局面において困難な課題を抱えている。さらに工場施設の老朽化,ダモーダル・ダムの完成以後のフグリ川の流量減少,それに伴うカルカッタ港の機能低下,社会不安を嫌う諸企業の転出などが,1960年代に相次いだ。これによってカルカッタのインドに占める地位は低下し,経済面でもボンベイに劣るにいたった。これらへの対策として,地下鉄の建設,市の東方での25万人規模のニュータウン建設,フグリ川下流でのハルディア港湾工業都市建設などの諸計画が進められている。
執筆者: 市街の中心を走るチョウロンギー通りに面して建つインド博物館は,1814年創設のインド最古にして最大の規模を誇る多目的博物館であり,考古学,美術,人類学,地理学,産業(実用植物学),動物学の6部門より成る。考古部門はバールフットの欄楯をはじめとして先史から中世末期までの彫刻類や貨幣,美術部門は細密画,タンカ,工芸品,染織品などの代表作品を網羅する。ほかに貴重なサンスクリット写本を所蔵するアジア協会,カルカッタ大学付属のアシュトーシュ美術館,イギリス統治時代の各種資料を展示するビクトリア記念堂などがある。
執筆者:


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百科事典マイペディア 「カルカッタ」の意味・わかりやすい解説

カルカッタ

東部インド最大の都市。西ベンガル州の州都。1999年ベンガル語発音のコルカタKolkataに改称。ガンガー川の支流フグリ川河口から約140km上流に位置する貿易港。商工業・金融の中心。黄麻(ジュート)・綿,金属,機械,化学等の工業が行われる。1690年イギリス東インド会社が創設。1757年―1911年英領インドの主都。大学(1857年創立),国立博物館(1814年創立),動物園,植物園(樹齢180年の大バンヤンジュが有名),東インド会社のウィリアム要塞などがある。人口密度が高く,公害,住宅,衛生などさまざまな都市問題を抱える。449万6694人(2011)。
→関連項目テレサ(カルカッタの)ハウラーベンガル

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「カルカッタ」の解説

カルカッタ
Calcutta

ガンジス・デルタの中心都市。1999年にコルカタ(Kolkata)と改称。寒村にすぎなかったが,1690年,イギリス東インド会社が商館を建設してから,インド貿易の中心として,また植民地支配の拠点として急速に発展した。19世紀以降ラームモーハン・ローイタゴール等のベンガル人の知識人が台頭すると,彼らの社会改革運動,政治運動,文学運動などの舞台となった。またジュート業,機械工業,金融業などが発達し,ボンベイと並ぶインド最大の商工都市となった。20世紀初頭にはイギリス帝国の第2の都市と謳われたが,1912年,インド帝国の首府の地位をニューデリーに譲り,30年代には不況の打撃を受け,さらに47年のインド・パキスタン分離独立によって後背地の東ベンガルを失い,しだいに衰退した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「カルカッタ」の意味・わかりやすい解説

カルカッタ
かるかった
Calcutta

インド東部、西ベンガル州の州都コルカタKolkataの旧称。イギリス植民地時代より長くカルカッタとよばれてきたが、1999年に古来の呼び名であるコルカタに名称を変更した。

[編集部]

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旺文社世界史事典 三訂版 「カルカッタ」の解説

カルカッタ
Calcutta

インド北東部,ガンジス川デルタ地帯の中心をなす都市で,西ベンガル州首都
1696年,イギリスの東インド会社が構築したウィリアム要塞がその基礎。その後,ベンガル総督・インド総督が駐在し,イギリスのインド侵略の拠点となった。独立運動の激化に伴い,イギリスは1912年デリーに遷都した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カルカッタ」の意味・わかりやすい解説

カルカッタ

「コルカタ」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内のカルカッタの言及

【ガンガー[川]】より

…流路の変遷がはげしいが,現在の本流は最も東側のパドマPadma川であり,バングラデシュを流れる。カルカッタは最も西を流れるフグリHooghly川左岸に発達した都市で,河口から約150kmの地点ながら感潮限界内にあるので,帆船時代からかっこうの船着場であったといわれる。低湿なデルタには一面に水田がひらけ,集落はやや小高い自然堤防上に立地する。…

※「カルカッタ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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