改訂新版 世界大百科事典 「チャタレー裁判」の意味・わかりやすい解説
チャタレー裁判 (チャタレーさいばん)
英文学者伊藤整が翻訳した《チャタレイ夫人の恋人》(上,下)が刑法175条の猥褻(わいせつ)文書販売罪に問われた事件。第2次大戦前には,同書の英語原版は春本の扱いを受けて関税定率法上の輸入禁止図書とされていたが,戦後には,原作者D.H.ロレンスの文学は高く評価されるようになり,1950年に出版されたこの全訳本は,戦後期の解放的文化の風潮を象徴して広く歓迎された。それだけに,その摘発と起訴(1950年9月)は,憲法の保障した表現の自由を危うくさせる,文芸に対する国家の統制強化として深い関心を引き起こしている。伊藤本人の手記《裁判》など文芸家や法律家によるこの裁判の紹介,批評は多く,文芸家団体などの意思表明も盛んであった。第一審の東京地方裁判所判決(1952年1月18日)は,芸術性の高い作品中での性表現はわいせつ性が昇華されて消滅しているとの〈相対的わいせつ概念〉の立場から伊藤整を無罪とした。しかし,最高裁判決(1957年3月13日)は,性行為の非公然性と性的秩序維持の必要性を強調して,芸術性とわいせつ性は両立するとの〈絶対的わいせつ概念〉を採り,伊藤を出版元の小山書店店主とともに有罪とした。こうしたわいせつ観やわいせつ性判断の基準論に対しては批判も強かったが,判例としてその後長く日本の裁判を支配し,その見直しは,1969年の《悪徳の栄え》事件に関する最高裁判決以後のことになる。
→猥褻
執筆者:江橋 崇
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報