詩人、小説家、評論家。本名整(ひとし)。明治38年1月17日、北海道松前郡炭焼沢村(現、松前町白神)に生まれる。小樽(おたる)高等商業学校(現小樽商科大学)時代から詩を書き始め、百田宗治(ももたそうじ)主宰の『椎(しい)の木』同人となり、詩集『雪明りの路(みち)』(1926)を出版。1928年(昭和3)、小樽市中学校教諭を辞めて上京、東京商科大学(現、一橋大学)に入学。詩から小説、批評に転じ、フロイトやジェームズ・ジョイスの影響を受けた「新心理主義」の代表的理論家兼実作者として文壇に登場し、評論集『新心理主義文学』(1932)、小説集『生物祭』(1932)を出した。その後、20世紀文学の方法を利用して詩や私小説の芸術的エッセンスを作品化することを試みた。『街と村』(1937~1938)、『得能(とくのう)五郎の生活と意見』(1940~1941)などの小説を経て、第二次世界大戦後、詩、小説、評論、戯曲などのさまざまな形式を組み合わせた現代知識人文学の代表作『鳴海(なるみ)仙吉』(1946~1948)を発表すると同時に、日本近代小説の私小説的性格を西欧と対比しながら明らかにした評論集『小説の方法』(1948)を出して注目された。1950年(昭和25)に翻訳・出版したD・H・ローレンスの『チャタレイ夫人の恋人』が猥褻(わいせつ)文書の疑いで起訴され、いわゆるチャタレイ事件が起こった。結果は有罪に終わったが、この裁判闘争の体験を生かして戯文エッセイ『伊藤整氏の生活と意見』(1951~1952)、『女性に関する十二章』(1953)、長編『火の鳥』(1949~1953)などを書き、ベストセラー作家になった。その後の長編に自伝小説『若い詩人の肖像』(1954~1956)、人間のエゴイズムと俗物性を追求した『氾濫(はんらん)』(1956~1958)や『発掘』(1962~1964)、老年の性を描いた『変容』(1967~1968)、父の生涯を記録した『年々(ねんねん)の花』(1962~1963)などがあり、ほかに大著『日本文壇史』(1952~1969)、『太平洋戦争日記』(1983)がある。1968年、芸術院会員。昭和44年11月15日、胃癌(いがん)のため死去。
[曾根博義]
『『伊藤整全集』全24巻(1972~1974・新潮社)』▽『亀井秀雄著『伊藤整の世界』(1969・講談社)』▽『瀬沼茂樹著『伊藤整』(1971・冬樹社)』▽『早川雅之著『伊藤整論』(1975・八木書店)』▽『曾根博義著『伝記伊藤整』(1977・六興出版)』▽『奥野健男著『伊藤整』(1980・潮出版社)』
昭和期の小説家,評論家,詩人 日本近代文学館理事長;東京工業大学教授。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
作家,評論家,詩人,翻訳家。北海道生れ。本名整(ひとし)。小樽高商卒,東京商大中退。1926年,詩集《雪明りの路》を出したが,まもなく小説,評論に転向。S.フロイトの精神分析を文学にとり入れ,J.ジョイスなどの西欧20世紀文学の方法を紹介,移入した。その後,抒情詩人としての資質を知性で統御しながら,20世紀小説の方法と私小説の持つ芸術的な力を組み合わせる独自の方向に進み,小説《街と村》(1939)から《得能五郎の生活と意見》(1941),《得能物語》(1942)を経て《鳴海仙吉》(1950)を書いた。また《小説の方法》(1948)は,私小説を中心とする日本の近代小説の性格を西洋と比較しながら理論的に解明した画期的な評論である。50年,D.H.ロレンスの《チャタレー夫人の恋人》を訳して裁判沙汰になった(チャタレー裁判)が,その後も《若い詩人の肖像》(1956),《氾濫》(1958),《変容》(1968)などの長編を世に送る一方,《日本文壇史》全18巻(1953-72刊)の偉業を残した。
執筆者:曾根 博義
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
1905.1.16~69.11.15
昭和期の詩人・小説家・文芸評論家。北海道出身。本名整(ひとし)。東京商大中退。新心理主義の批評家兼作家として注目される。私小説「得能(とくのう)五郎の生活と意見」で日中戦時下の知識人の生き方を追求,戦後の「鳴海(なるみ)仙吉」に発展させ,文学理論を「小説の方法」にまとめる。代表作「火の鳥」,自伝小説「若い詩人の肖像」,「日本文壇史」18巻。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…近代の日本人は,なまじ,キリスト教を通じてヨーロッパ系の〈愛〉を輸入したために,われわれの内部に定着しうべくもない〈愛〉の実在を錯覚してしまった。《近代日本に於ける`愛’の虚偽》と題する論文を書いた伊藤整が,〈心的習慣としての他者への愛の働きかけのない日本で,それが愛という言葉で表現されるとき,そこには,殆んど間違いなしに虚偽が生まれる〉〈男女の結びつきを翻訳語の〈愛〉で考える習慣が日本の知識階級の間に出来てから,いかに多くの女性が,そのために絶望を感じなければならなかったろう〉と慨嘆したのは,まさにその意味においてであった。【佐竹 昭広】
【心理学・精神医学における〈愛〉】
愛とは,自分にとって価値のある対象を慕い,いつくしみ,またはそれに引きつけられていく精神的過程と考えることもできよう。…
…英文学者伊藤整が翻訳した《チャタレイ夫人の恋人》(上,下)が刑法175条の猥褻(わいせつ)文書販売罪に問われた事件。第2次大戦前には,同書の英語原版は春本の扱いを受けて関税定率法上の輸入禁止図書とされていたが,戦後には,原作者D.H.ロレンスの文学は高く評価されるようになり,1950年に出版されたこの全訳本は,戦後期の解放的文化の風潮を象徴して広く歓迎された。…
…いずれも出版者が罪に問われたが,裁判の結果は無罪であった。日本でも戦前から翻訳されていたが,50年伊藤整の完訳が出て,チャタレー裁判を引き起こした。【鈴木 建三】。…
…伊藤整の長編小説。1946‐48年(昭和21‐23),諸雑誌に独立に発表された短編をまとめて,50年細川書店刊。…
…作品が私的日常性の範囲に限定され,みすぼらしい貧乏生活,主観的想念の自己満足的表現になりやすい。第2には〈私小説演技説〉が伊藤整により唱えられたように,私小説を書くための作者の意図的な自己演技がいつわりなきものであるべき生活をゆがめかねない。第3には,作品世界が実生活と別次元に立つことを忘れ,作品と実生活の混淆が生じがちである。…
※「伊藤整」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加