日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブラウニング」の意味・わかりやすい解説
ブラウニング(Robert Browning)
ぶらうにんぐ
Robert Browning
(1812―1889)
イギリスの詩人。テニソンとともにビクトリア朝のイギリス詩を代表する人物。人間性に対する信頼と楽天主義を表現した。「神、そらに知ろしめす。/すべて世は事も無し。」(上田敏(びん)訳。『ピッパが通る』)はこの思想の表明としてあまりにも有名である。
1812年5月7日、ロンドン近郊のキャンバウェルで生まれる。イングランド銀行に勤める父親と敬虔(けいけん)な信仰をもつ母親はともに教養の高い人であり、そのため、正規の教育は当時新設のロンドン大学に短期間在学した程度であるが、少年時代から文学・美術・音楽に関する深い教養を身につけた。詩人としてたつ決心をしたのもこのためである。38年と44年のイタリア旅行は、イタリアに対する終生変わらぬ愛情の源となった。33年に処女作『ポーリーン』を出版したあと、歴史上の人物を主題とした『パラケルスス』(1835)、『ソルデロ』(1840)を発表する一方、当時劇壇で勢力のあったW・C・マクリーディの勧めで『ストラフォード』(1837)から『ルリア』(1846)までの劇を約8年間書いた。これらはあまり成功しなかったが、彼の「劇的独白」の手法を発展させるのに役だった。
1841年から46年にかけて『鈴とザクロ』という表題で8冊の小冊子(詩も劇もあり、『ピッパが通る』が第一冊)を出版。これが契機となってエリザベス・バレットと知り合い、彼女の父親の反対を押し切って46年9月ひそかに結婚し、その直後にイタリアへ行きフィレンツェに住んだ。このあと『男と女』(1855)、『登場人物』(1864)、最高傑作『指輪と本』(1868~69)などの代表作を次々に発表。61年に夫人を亡くしてからはロンドンに住み、大詩人として世間の尊敬と名声に包まれて暮らしたが、『指輪と本』以後20年間に出版した十数巻の詩集は、以前のような叙情の高まりを示す優れた詩もあるが、概して冗漫で、先にあげた代表作には及ばない。89年秋にイタリア旅行中12月12日ベネチアで客死し、ウェストミンスター寺院に葬られた。
[戸田 基]
『大庭千尋訳『男と女』(1975・国文社)』▽『日夏耿之介訳『世界詩人全集3』(1955・河出書房)』
ブラウニング(Elizabeth Barret Browning)
ぶらうにんぐ
Elizabeth Barret Browning
(1806―1861)
イギリスの女流詩人。富裕な地主バレット家の12人の子のうちの長子として生まれ、幼時から古典を学び、詩をつくった。虚弱であったが知力は優れ、1845年R・ブラウニングに会うまでに数巻の詩集やアイスキロスの翻訳を発表した。2人の恋愛と46年の結婚の結果生まれた『ポルトガル語より訳せるソネット集』(1850)と長詩『オーローラ・リー』(1857)が代表作。結婚後はフィレンツェに住み、同地で没した。
[戸田 基]