ドイツ写実主義の代表作家の一人。ブラウンシュワイク公国に仕える裁判書記官の子に生まれる。少年時代幾度かの転校で学業に対する興味を喪失,ウェーザー河畔の美しい自然に触れ,絵に親しむ。父の早死で母の郷里ウォルフェンビュッテルに帰り,高校に入るが中退,4年間マクデブルクで書店見習の生活を送る。この間サッカレー,ディケンズ,ハイネ,E.T.A.ホフマンを熱心に読む。その後いったん帰郷したあと,1854年にはベルリンへ赴き,大学の聴講生となる。このとき匿名で発表した《雀横丁年代記Die Chronik der Sperlingsgasse》(1856)が好評を博し,作家として立つ決心をする。62年には結婚し,南ドイツのシュトゥットガルトに住んだが,70年には再び帰郷,以後ここにとどまって創作に専心,長短編合わせて68編の小説を書いた。ベルリンの一裏通りに住む庶民の生活を年代記風につづった処女作が最も有名であるが,かつてはシュトゥットガルト時代の3長編《飢餓牧師》(1864),《アブ・テルファン》(1867),《死体運搬車》(1870)が代表作とされ,《森から来た人々》(1862)の中の〈星を見上げよ〉〈横丁に注意せよ〉の標語が理想と現実の中庸を求める彼の文学の本質を表し,O.ルートウィヒの〈詩的写実主義〉の理念とも共通するものとみなされた。しかし最近ではむしろ後期作品が評価され,とくにブラウンシュワイク三部作といわれる《古巣》(1880),《まんじゅう》(1891),《フォーゲルザングの記録文書》(1896)が,時間と空間を巧みにつなぐ優れた語りの手法や香り高いユーモアをもって,人生に達観した者の清らかな内面を描く名作として評判が高い。
執筆者:平田 達治
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
ドイツの小説家。ブラウンシュワイク公国の片田舎(かたいなか)に生まれる。一時書店勤めをしたのちベルリン大学の聴講生となる。そのかたわら小説を書き始め、1856年に『雀(すずめ)横丁年代記』を上梓(じょうし)したが、ベルリンの下町生活をユーモアあふれる筆致で描いたこの処女作は、すでにラーベ独特の巧みな物語技法を示している。1862年から8年間シュトゥットガルトに住み、『飢(う)えの牧師』(1864)、『アブ・テルファン』(1867)、『死体運搬車』(1870)のいわゆる「シュトゥットガルト三部作」を書いた。精神的に飢え理想を求めて苦学したすえ、ついに牧師になる青年を描いた『飢えの牧師』が、以前はラーベの代表作と目されていたが、第二次世界大戦後に至りブラウンシュワイクに帰ってからの、それまで看過されていた作品群が脚光を浴びて、むしろ、ここにラーベの真価がみいだされるようになった。とくに『まんじゅう』(1891)と『フォーゲルザングの記録文書』(1896)において、時代の変化に順応せず、あくまで自己に忠実に生きようとする、アウトサイダー的人間を主人公にして、鋭い時代批判を行っている。
[石井不二雄]
『伊藤武雄訳『雀横丁年代記』(岩波文庫)』
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