コムギ(読み)こむぎ(英語表記)wheat

翻訳|wheat

日本大百科全書(ニッポニカ) 「コムギ」の意味・わかりやすい解説

コムギ
こむぎ / 小麦
wheat
[学] Triticum aestivum L.

イネ科(APG分類:イネ科)の二年草。コムギ属の総称から区別するためパンコムギともいう。おもに温帯の畑地に栽培され、世界第1位の生産量をもつ穀物で、世界人口の半分近くの主食であり、イネなどを食べている民族もほとんどがなんらかの形でコムギを食べている。

[星川清親]

形態

稈(かん)(茎)は高さ約1メートル。日本の品種は概して短く、外国には長稈品種が多いが、近年はやや短稈の品種も普及している。主茎の下位節部から分(ぶん)げつを出し、さらにその分げつからも分げつを生ずるので、十分な空間がある場合には1本の主茎から30~100本の分げつが出る。しかし一般の栽培条件では10本内外で、密植のドリル栽培では2、3本が普通である。葉は葉身と葉鞘(ようしょう)とからなり、両者の境目に葉舌(ようぜつ)と1対の葉耳(ようじ)がある。コムギの植物体はオオムギとよく似ているが、コムギの葉耳はオオムギより小さく、毛が生えている点が異なる。葉身は長さ30~40センチメートル、上位の葉はすべて先端近くにくびれがあるのが特徴である。初夏に出穂し、複穂状花序をつくるが、品種により、錐(きり)状、棒状、紡錘状などいくつかの穂型に分かれる。穂軸は約20節からなり、各節に小穂が互生する。小穂の基部には2枚の護穎(ごえい)がある。小穂軸には5~10節があり、各節に1個の小花がつく。しかし、普通は上位の小花は退化もしくは発育不全で、開花するのは下位の3~5小花、完全に結実するのは基部の3、4小花である。花は薄膜質、緑色の外穎、内穎に包まれ、外穎の先端に長い芒(のぎ)がある。品種により芒の退化したものがあり、これを無芒(むぼう)品種、俗に坊主(ぼうず)小麦という。開花から結実までの期間は、日本では45~50日、イギリスや北ヨーロッパなどの冷涼地では60日ほどを要する。果実は穎果でふっくらした楕円(だえん)形、長さ4.5~6.9ミリメートル、1000粒の重さは20~40グラムである。外国の品種には大粒のものが多く、1000粒で60グラムに及ぶものもある。

[星川清親]

起源と伝播

コムギ属Triticumは倍数性植物で、二倍種の一粒系コムギ、四倍種の二粒系コムギおよび六倍種の普通系コムギがある。二倍種と四倍種は野生種と栽培種があるが、六倍種は野生種がなく、栽培種のみである。

 二倍種の野生一粒系はヒトツブコムギT. monococcum L.主としてトランスコーカサス、トルコとそれらの周辺地域に自生し、トルコ、イラクにまたがるザーグロス山岳地帯で少なくとも紀元前6750年には栽培化された。栽培一粒系T. boeoticum Boiss.は新石器時代から青銅器時代にかけて、イラク、トルコ、シリア、さらにスイス、ドイツ、フランスなどの中部ヨーロッパまで伝播(でんぱ)した。しかし同じころに野生二粒系から生産性の高い栽培二粒系が成立しているので、栽培一粒系はあまり利用されていなかった。現在はトルコの数か所でわずかに飼料用としてカラスムギなどと混植されているにすぎない。

 四倍種の野生二粒系はザーグロスおよびタウルス(トロス)山岳地帯を通り、トルコの中央および西部アナトリア高原とパレスチナまでの地中海に沿って南下した半月形の地域に分布している。その発祥地はイラクのザーグロス山岳地帯である。野生二粒系の成立に関与した祖先種は、二倍種の野生一粒系とコムギ属の近縁野生二倍種のクサビコムギAegilops speltoides Tauschである。すなわち、トルコ中央部からイラクの北部にかけて分布するクサビコムギと野生一粒系の自然交雑により、四倍種の野生二粒系ができた。栽培一粒系と同じく、野生および栽培の二粒系が前6750年のイラクのジャルモの遺跡から発掘されているので、野生二粒系はイラクのザーグロス山岳地帯で、少なくともこの時代には栽培化された。最初の栽培二粒系は種子が穎に包まれたままで、脱粒の困難な皮ムギでエンマーコムギT. dicoccon Schrank(T. dicoccum Schübl.)とよばれるものであった。穎が柔らかく容易に脱粒される完全な栽培型の裸麦はマカロニコムギT. durum Desf.とよばれ、それは前1000年ころに、ザーグロス山岳地帯でエンマーコムギから遺伝子突然変異によって出現したと推定される。それまでエンマーコムギは地中海沿岸地域を中心として、北はヨーロッパ、南はアラビア、アビシニアまでの広地域で栽培され、重要な人類の食糧となっていた。しかもマカロニコムギによってエンマーコムギがおもなコムギ栽培地域から駆逐されたのは、実に16世紀以降といわれている。現在ではエンマーコムギの畑をみることは甚だ困難である。そしてマカロニコムギの伝播過程で地域に特異的な種々の型が成立した。たとえばイギリスではリベットコムギT. turgidum L.、エジプトではエジプトコムギT. pyramidale Perc.、トランスコーカサスではペルシアコムギT. carthlicum Nevski、エチオピアではアビシニアコムギT. abyssinicum Vav.などである。マカロニコムギはコムギのなかでももっとも硬質で、マカロニ、スパゲッティなどをつくるのに用いられ、現在でも地中海沿岸地域を中心として世界のコムギの生産量の約5%を占めている。

 六倍種の普通系は、前述のように野生種がなく、その代表的な栽培型はパンコムギである。パンコムギは野生型が存在しないことから、栽培二粒系とコムギ属の近縁野生二倍種のタルホコムギA. triuncialis L.(A. squarrosa L.)との自然交雑によってできた。したがってその雑種形成はタルホコムギの分布地域内でおこったことになる。タルホコムギの主要分布地域はトランスコーカサス、北西イラン、カスピ海沿岸、トルクメニスタン、アフガニスタン北部で、現在のトランスコーカサスおよび北西イラン地域において起源されたと推定されている。普通系のパンコムギの伝播過程においてアフガニスタンで密穂型のクラブコムギT. compactum Host、さらにインドで短稈・早生(わせ)型のインドコムギT. sphaerococcum Perc.、ドイツ、スペイン地域で皮ムギのスペルトコムギT. spelta L.などの種分化がみられた。

 また四倍種の二粒系の栽培はメソポタミアより西方に主として地理的分布を有し、とくに温帯乾燥気候型の限定された地域に適応しているが、六倍種の普通系は、東方地域への分布の適応性と、そのほか四倍種にみられない秋播(あきまき)性(冬コムギ)による越冬性と、製パン性などの生理的形質をもつタルホコムギの特性を受け継ぐ結果となって、四倍種の適応しえない寒帯から熱帯、また乾燥から湿潤と幅広い適応性をもち、世界の隅々まで広く栽培可能な世界のコムギとなった。

 パンコムギのもっとも早い考古学的資料は、前5000年ころのトルコ、イラク、イランの遺跡から報告されている。早くから西へ伝播し、小アジア全域に、またバルカン半島あるいは地中海沿岸を経て、前3000年ころにヨーロッパの全域に伝播した。また北へは早くから黒海の西海岸から旧ソ連地域一円に伝播した。北東へは前2500年ころにイラン高原を経てアラル海南部地方に、南東へはメソポタミアを経て前2000年ころにインド西部のインダス川流域に、南へは前4000年ころナイル川流域、さらに前2000年にはアラビア半島を経てアフリカ北東部に伝播した。中国へは前2000年ころに中央アジアを経て伝播し、日本へは朝鮮半島を経て後400~500年に導入された。新大陸へは16世紀、またオーストラリアへはイギリスから18世紀に導入された。

[田中正武]

栽培史

世界

コムギ属植物は、人類が農耕を始めた1万~1万5000年前に最初に作物としたものの一つで、以来、人類の主食、とくに欧米の文化を支えてきたもっとも主要な食糧である。他の穀物と同様、コムギの利用の歴史もまず野生種の採集から始まった。紀元前1万年ころから前8000年にかけて近東で成立したナトゥーフ文化は、基本的には狩猟採集民の文化であったが、骨製の柄(え)に細石器を一列に植え付けた鎌(かま)、石臼(いしうす)、石杵(きね)などの道具を用い、野生の種子植物を食用にしていたことがわかっている。しかも彼らは定住村落を営んでおり、主として野生のコムギ(一粒系、二粒系)、そしてオオムギに依存していた。オクラホマ大学のR・ハーランは、トルコ東部の野生ヒトツブコムギの自生地で当時の鎌を使った刈り入れ実験を行った。その結果、1家族が数週間働けば1年分のコムギを収穫できることがわかった。このことは、野生コムギの生産性がきわめて高かったことを示している。やがてコムギの利用は原生地の外縁部へと広がり、農耕が始まった。初期の定住村落の遺跡としては、イランのアリ・コシュ、イラクのジャルモなどが知られているが、コムギの意図的な栽培が始まったのは前7000年を過ぎるころからと考えられ、現在の栽培種の主流であるパンコムギがこれらの遺跡に登場するのは、前5000年ころからである。こうして、近東で始まったコムギの栽培は、オオムギなどの他のムギ類の栽培、ウシやヒツジなどの家畜飼育、畜力を利用した犂(すき)農耕、畑地灌漑(かんがい)とともに一つの農耕複合となって、まず地中海周辺へ伝播した。

 栽培化が始まった当初、コムギは、種子に固く貼(は)り付いた穎を落とす目的もあって炒(い)って食べられ、のちにはひき割りにして粥(かゆ)にする方法が考案された。この二つの食べ方はいまでも近東の一部でみられる。今日みられる、製粉し、発酵したパン種を入れて焼くパンがつくられるようになったのは、コムギがエジプトへ伝わってからのようである。パンの製法は、ギリシア、ローマへも伝えられたが、一般的な食物となるのはずっと後のことである。

 地中海周辺に広まったコムギ栽培は、やがてアルプスを越えてヨーロッパ北部へ、また東方へも広がった。ヨーロッパへの伝播は、その性質から秋播性(秋に播種し、越冬して成長する)が主流であったが、品種改良によって春に播種して夏までには出穂・結実する春播性コムギがつくられてからである。インドでは前2000年ころ、インダス文明下でコムギとともにオオムギもつくられていた。現在、インドの多くの地域で常食になっているチャパティは小麦粉を練って薄く焼いたもので、伝統的な食べ方の一つである。中国へは前2000年ころに伝えられたとみられ、商代の占骨には「来」(古くはムギ、とくにコムギを意味した)と「麦」の文字が記されている。

 コムギが主食となったのは近世になってからで、ヨーロッパでは中世までオオムギ栽培のほうが多かったといわれ、コムギのなかでもエンマーコムギ、マカロニコムギなど二粒系が主体であった。伝統的なムギ作地域では、コムギやオオムギの農事暦を中心として、さまざまな年中行事が行われる。なかでも播種と収穫はたいせつな意味をもち、特別な儀礼や祭宴が催される。ヨーロッパの伝統的な農村では、播種にあたっては、犂や挽獣(ばんじゅう)に聖なる水を注ぎ、あるいは畑地で行進を行い、作物の成長を祈る。収穫した新穀の一部は、穀霊を表すものとされ、特別の装飾をつけて祝ったり、製粉し、人の形のパンに焼いて食べる。

[松本亮三]

日本

日本でのコムギの利用は、『日本書紀』や『古事記』によると、保食神(うけもちのかみ)あるいは大気都比売神(おおけつひめのかみ)の遺体の一部から麦が生じたとあり、この時代に主要な穀物として栽培していたことがわかる。コムギの伝来は、文献的検証により、3世紀から、記紀が編纂(へんさん)された8世紀までの間、おそらく4、5世紀に朝鮮半島を経てもたらされたとするのが従来の定説であった。しかし、最近、九州・福岡の板付(いたづけ)の弥生(やよい)時代前期の遺跡からコムギの粒や花粉粒が発見されたのをはじめ、コムギ栽培が弥生時代初期あるいは縄文時代晩期にまでもさかのぼる考古学的証拠が数多くみいだされ、コムギの日本への伝来は、イネとあまり変わらない時代とも考えられるに至っている。奈良時代以降、コムギの利用は急速に普及し、広い地域に栽培されたようである。当時は調味料としての醤(ひしお)(なめみそ)の原料や菓子原料とされた。平安時代には救荒作物として栽培が奨励された。鎌倉時代には水田裏作としての栽培が始まり、室町時代に入って急に増加した。以降、江戸時代を通じ米が主たる租(税金)とされたため、コムギはオオムギとともに農民の主要な食糧として畑地および水田の裏作として栽培され、明治初期には約36万ヘクタールの栽培があった。

 その後、パンがしだいに普及し、菓子や麺(めん)類としての需要も増大したため生産は増え、大正時代には50万ヘクタールに達した。さらに、第二次世界大戦中および戦後の食糧不足時代に米の代用食としての需要が増大し、70万~80万ヘクタールにも作付けが増えた。戦後は欧米式のパン食がいっそう普及・奨励され、需要は増えたが、国産よりも安価なアメリカ産コムギの輸入政策が進められ、生産は圧迫された。そのため、1960年(昭和35)以降急速に減少した。しかし1978年以降、水田利用再編対策として麦作が奨励されたことにより、作付規模が拡大され、増産に転じた。しかしそれでもなお自給率は12%程度で、大部分はアメリカのほかカナダ、オーストラリアなどからの輸入に頼っている。

 消費動向は、米の消費が年々減るのとは対照的に増加を続け、2016年では米864万トンに対し、662万トンで、そのうち食用は536万トンとなっている。

[星川清親]

栽培種

現在、世界で栽培されているコムギ属植物のうち六倍種のパンコムギが栽培面積の90%以上を占め、日本ではパンコムギのみが栽培されている。このほか、栽培種には次のようなものがある。二倍種のヒトツブコムギは、栽培種のなかでもっとも原始的なもので、古くから栽培された。しかし味はよいが収量が低く、脱穀が困難で、現在はおもに飼料用としてごく少量が局地的に栽培されるにすぎない。四倍種の皮性エンマーコムギも古くから栽培されたものであるが、現在はほとんど消滅し、小アジア、アメリカ、ヨーロッパに局所的に残るのみである。四倍種の裸性マカロニコムギはデュラムコムギともいわれ、タンパク質のグルテンに富み、きわめて硬質性で、マカロニやスパゲッティの原料に適している。とくに地中海沿岸地域などで栽培が多い。四倍種の裸性リベットコムギはイギリスコムギともいい、16~18世紀にイギリスでかなり栽培され、ビスケットなどをつくるのに用いられた。六倍種はパンコムギのほかに、スペルトコムギがあり、これは皮性の普通系コムギで、ドイツ、スペイン地域でパンコムギから生じた。六倍種の裸性クラブコムギは、パンコムギの伝播過程でアフガニスタンで生じた密穂型のものである。現在、パンコムギと同じくアメリカ、カナダなどでも一部栽培されている。これらのほか10種ほどの栽培種があるが、現在は局地的に小規模な栽培があるにすぎない。

 コムギはライムギSecale cereale L.と交配することができ、人工的につくられた雑種はライコムギとよばれ、ライムギの強健な草性と耐寒性をコムギに導入したものとして、コムギの栽培困難な地域で注目されている。

[星川清親]

品種

コムギの品種は、秋播性品種(冬コムギ)と春播性品種(春コムギ)とに大別される。秋播性品種は秋に播種して幼植物で越冬し、低温期を経て春に出穂する品種群で、耐寒性が強く、寒冷な地方での栽培に適している。秋播性品種は、冬の低温にあうことで穂の分化・出穂に必要な生理的体制を得、春の長日条件によって花の発達が進む。このように、低温にあうことによって花芽が分化する現象を春化現象(バーナリゼーションvernalization)とよぶが、人為的にも応用できる。したがって、秋播性品種を春に播種しても、茎葉は茂るが穂が出ず、収穫は得られないが、種子に人為的に春化処理をすれば、春に播種しても正常に開花、結実する。春播性品種は穂の分化と出穂に対しての低温要求がほとんどなく、春に播種すると夏までに出穂、結実する。もちろん秋に播(ま)いても出穂するが、耐寒性が弱いので、寒冷地の秋播栽培では越冬が困難である。このため春播性品種は、温帯の暖地や亜熱帯地方の秋播きと、冬がきわめて寒くてコムギの越冬が困難な地域の春播きに用いられる。

 コムギの品種は低温要求の弱いものから強いものへ順にⅠ~Ⅶの7段階に分類されている。ⅠとⅡが春播性品種、Ⅴ~Ⅶが秋播性品種で、ⅢとⅣはこれらの中間型である。この分類から日本のコムギ品種の地理的分布をみると、北海道では秋播性のⅦ(北栄、ムカコムギ)と春播性のⅠの品種が栽培され、東北地方北部には秋播性のⅥやⅤ、東北地方南部には中間型のⅣが多い。関東では、平野部には中間型のⅢ(シラサギコムギが代表)が、霜害を受けやすい台地には中間型のⅣ(農林64号、農林50号、ミクニコムギアオバコムギ)が、西南部の暖地では春播性のⅡ(農林61号が代表)が栽培される。九州、四国の平野部および水田裏作には春播性のⅠ(農林20号など)の品種が栽培される。

 日本で現在もっとも広く作付けしている品種はきたほなみで、2012年には全国の作付面積の約半数を占めている。

 なお、近年アメリカおよびメキシコで育成され、インドやメキシコで飛躍的増収をもたらし、「緑の革命」といわれた矮性(わいせい)(短稈)コムギは、日本の短稈品種農林10号を親にして改良されたことは有名である。

 世界的に品種の地理的分布をみると、ロシア、ウクライナ、カナダ、中国の東北地区など高緯度地方には、春播性品種と、秋播性の高い品種とが栽培されている。アメリカ、オーストラリア、およびフランスやイタリアなど南ヨーロッパでは大部分が秋播性であるが、中間型や春播性品種も栽培されており、メキシコやインドでは春播性品種が栽培されている。

 コムギはほかのイネ科穀物のような糯(もち)や粳(うるち)の区別はなく、すべて粳性である。

[星川清親]

栽培

播種適期は地方によって異なり、北海道、東北地方北部で9月中・下旬、東北地方中・南部と北関東では10月上・中旬、北陸と山陰では10月中・下旬、南関東では10月中旬から11月上旬、東海から九州にかけての地域では11月中・下旬である。寒冷地ほど播種期の幅が狭く、早播きにすぎれば、生育の進みすぎから越冬中に凍霜害を受けやすくなり、また病害が発生しやすい。遅播きでは発芽、初期生育が遅れ、有効分げつが少なく、出穂が遅延し、成熟も遅れて収量があがらない。

 昔から「イネは地力でとり、ムギは肥料でとる」といわれるように、収量には肥料の影響が大きい。窒素肥料は10アール当り10~13キログラム施用し、30~60%を基肥とし、残りは追肥とする。追肥は分げつ最盛期の12月から翌年の2月の間の寒肥と、出穂前40~50日の春肥とを行う。リン酸とカリはそれぞれ10アール当り7~9キログラムと5~8キログラムを元肥として与える。堆肥(たいひ)の施用量は10アール当り1000キログラムが標準である。

 播種にあたって、伝染病の予防のため、種子消毒を行う。病原菌が種子内に入り込むコムギ裸黒穂病の消毒には風呂(ふろ)湯浸法、冷水温湯浸法などがある。前者は、45℃の湯に種子を浸し、8~10時間放置して自然に温度が下がるようにする。後者は、15℃の冷水に6~7時間浸漬(しんし)し、50℃の湯で短時間温め、さらに54℃の湯に5分間浸してから冷やす。なまぐさ黒穂病や、殻(から)黒穂病のように、種子の表面に付着する菌の消毒は薬剤による。ベノミルチュラム剤で、0.5%(重量)の種子粉衣、20倍液の10~20分浸種、200倍液の6~24時間浸種のいずれかによる。

 播種密度は、従来の栽培では雑草防除のため、土入れ、土寄せなどをしなければならなかったので、畑作では条間45~60センチメートルの一条播き、水田裏作では条間120センチメートルの二条播きが従来の標準であった。しかし、農薬の普及により播種密度を高めることが可能となり、最近は、耐倒伏性品種を用いて、条間15~25センチメートル、株間3~6センチメートルのドリル播きや、全層播きが行われる。かつての栽培では、冬期の霜柱による根の浮上を抑え、同時に土壌水分の均一化や徒長抑制などのため、麦踏みを行ったが、近年は省力の見地からも麦踏みを行わないことが多い。しかし、火山灰土の圃場(ほじょう)では麦踏みは有効で、トラクターで牽引(けんいん)してローラーを1、2回かけるのが能率的な方法である。

 収穫の適期は出穂後45~60日で、果実の80%が淡褐色に変わり、硬くなった黄熟期か、あるいはそれよりも数日後である。日本では収穫期に雨が多く、穂がぬれると、穂についたままで種子が発芽してしまう穂発芽や、カビの害で品質を損ないやすいので、やや早めに刈り取る。これを乾燥させたのち脱穀し、粒の水分が11~12%になるまで乾燥させ、貯蔵する。

[星川清親]

生産状況

栽培の北限はスカンジナビア半島の北緯64度地点、ロシアやアメリカでは北緯60度地点、南限は南緯45度付近である。このため、一年中地球上のどこかで収穫されている。2016年の全世界のコムギ作付面積は2億2010万ヘクタール、収穫量は7億4946万トンとなっているが、1960年の2億ヘクタール、2億4340万トンに比較すると、その生産の増大は著しい。とくにヨーロッパとアジアで生産が増えている。主生産地は、乾燥した平原地帯、すなわち、ヨーロッパからウクライナ、ロシア、カザフスタンに続く大陸中央平原地帯、北アメリカの中央平原地帯、インド北西部、中国北部、オーストラリア南部、南アメリカの南部などである。近年は中国がもっとも多く、年次により異なるが1億2000万~1億3000万トンである。以下インド、ロシアの順で、アメリカ、カナダ、フランス、ウクライナ、パキスタン、ドイツ、オーストラリア、トルコが2000万トン以上を生産する。

 日本の生産の現況(2016)は、作付面積は21万4400ヘクタール、収穫量は玄麦で79万0800トンで、輸入量562万4000トンに対して、約14%の生産があるにすぎない。全国生産の約66%にあたる52万トンが北海道で生産され、ついで福岡県をはじめとした九州地方で合計9万トンを生産する。10アール当りの収量は369キログラムである。アメリカをはじめとする大面積の生産国では高度に機械化された栽培が行われ、アメリカでは面積当り労働力が日本の3%程度であり、しかも10アール当りの収量は平均450キログラムで、日本よりも多い。ヨーロッパでは輪作に組み入れた合理的栽培によって生産は年々増加し、ドイツやイギリスでは10アール当り500キログラム以上の収量に達している。

[星川清親]

食品

コムギはおもに穀粒を小麦粉として食用とする。穀粒の切断面をみて、透明で堅いガラス状の部分の多い粒を硝子(しょうし)粒という。硝子質部分の割合が70~100%のものを硬質コムギといい、これを粉にすると硬質粉が得られる。また、穀粒の断面に透明部分が少なく、全体が白く粉っぽくて軟らかいものを粉状粒といい、これからは軟質粉が得られる。軟質粉を得るコムギを軟質コムギという。軟質と硬質の中間が中間質粉である。日本産のコムギは中間質と軟質で、これは日本が海洋性気候のため、内陸性の乾燥気候に適する硬質コムギがつくりにくいことによる。コムギ粒の成分は約70%がデンプンで、タンパク質は8~12%、脂質は1.7~2.1%でカロリーは高い。栄養的に主食として優れているが、必須(ひっす)アミノ酸のうちのリジンが米の約4分の3と劣っているので、タンパク価は米の78に対してコムギ粒では56である。また、製粉の際に除かれた皮部と胚(はい)が小麦ふすまで、飼料にする。胚は芽先(めんざい)とよばれ、ビタミンB1に富み、またビタミンEなども含むので、自然栄養食品とされる。デンプンは食用のほか糊(のり)として利用する。小麦粉からデンプンを除いて残るタンパク質の麩(ふ)質は、生麩や焼き麩として日本料理に用いる。コムギはみそやしょうゆなどの醸造原料として重要である。なお、コムギは、アレルギーをおこしやすい食品のなかでも症例数が多いため、食品衛生法施行規則で「特定原材料」に指定されており、当食品を含む加工食品については、2002年(平成14)4月からその表示が義務化されている。

[星川清親]

『戸苅義次・安間正虎共著『麦作新説』(1954・朝倉書店)』『木原均著『小麦の研究』(1982・講談社)』『長尾精一編『小麦の科学』(1995・朝倉書店)』『岡田哲著『コムギの食文化を知る事典』(2001・東京堂出版)』『斎藤修・木島実編『小麦粉製品のフードシステム』(2003・農林統計協会)』『J. PercivalThe Wheat Plant;A Monograph (1921, Duckworth, London)』


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改訂新版 世界大百科事典 「コムギ」の意味・わかりやすい解説

コムギ (小麦)
wheat

コムギ属Triticum作物の総称。イネ科の一,二年草。最も広範な地域で栽培されて最大の生産量をあげ,イネ,トウモロコシとともに世界三大穀物の一つで,人類の主食をまかなう重要な作物。長い農耕の歴史の中でしだいに生産性の高い品種にかわってきたが,現在栽培されているのは大部分がパンコムギT.aestivum L.(英名common wheat,フツウコムギともいう)である。

コムギは一粒系コムギ(二倍種,染色体数2n=14,ゲノムA),二粒系コムギ(四倍種,2n=28,ゲノムAB),チモフェービ系コムギ(四倍種,2n=28,ゲノムAG)および普通系コムギ(六倍種,2n=42,ゲノムABD)の4群からなる。この4群は染色体数が異なり,顕著な異質倍数性(異種ゲノムの組合せによって構成される倍数性)のみられる好例とされている。各群に属する種を表に示す。

 一粒系コムギは野生種のT.boeoticum Boiss.と栽培種のT.monococcum L.の2種からなる。前者はギリシア,バルカン,クリミア,ザカフカス,トルコ,シリア,イラク,イランに広く自生している。後者は現在,トルコ北西部,ルーマニアユーゴスラビア,フランス,スペインなどに残存的に栽培されているにすぎない。二粒系コムギには野生種のT.dicoccoides(Körn.)Schweinf.と約7種の栽培種があり,野生種はパレスティナおよびイラン,イラク国境のザーグロス山脈山麓とトルコ南東部に分布する。栽培種は多型的でもっとも原始的なエンマコムギT.dicoccum Schübl.は現在イラン,エチオピア,ユーゴスラビアおよびスペインにわずかに栽培されているにすぎない。しかしマカロニコムギ(デュラムコムギともいう)T.durum Desf.は地中海から旧ソ連にかけてのヨーロッパ,エチオピア,中近東~中央アジア,アメリカ合衆国,カナダで広く栽培されている。チモフェービ系コムギは野生種のT.araraticum Jakubz.と栽培種のT.timopheevi Zhuk.の2種からなる。前者はザカフカスおよびトルコ,イラク,イランのザーグロスおよびトロス山脈の山麓に広く分布する。後者はザカフカスのグルジア地方に固有で,この地方にのみ栽培されていたにすぎない。普通系コムギには野生種はなく,6種の栽培種のみからなる。このうちパンコムギは現在世界でもっとも広く栽培されているコムギである。

前に述べたコムギ4群の植物学的起源は,おもに過去50年にわたる遺伝学的研究,比較形態学的研究,比較生化学的研究などによって,異なるゲノムをもつ二倍種の交雑とそれに伴う染色体数の倍加による異質倍数種形成によることが明らかになった。すなわち,二粒系コムギのT.dicoccoidesおよびチモフェービ系コムギのT.araraticumはまだ不明な点も多いが,野生一粒系コムギのT.boeoticumと近縁二倍種のクサビコムギAeqilops speltoides Tauschの交雑とその染色体数倍加に由来すると考えられ,普通系コムギは二粒系コムギの栽培種と近縁の野生二倍種であるタルホコムギA.squarrosa L.の交雑とその染色体数倍加によることがわかった。

 一粒系コムギの栽培種T.monococcumは,野生のT.boeoticumから,栽培二粒系コムギは野生二粒系コムギのT.dicoccoidesから,また栽培種のチモフェービコムギT.timopheeviは野生のT.araraticumから,それぞれ栽培化されて生じたものである。前に述べたようにパンコムギなどの普通系コムギは,栽培二粒系コムギ(おそらくT.dicoccumと考えられる)とその畑に雑草として生える野生のタルホコムギとの自然雑種に由来すると考えられている。以上のことを図示すると図1のようになる。

 では,これら4群のコムギを人類はいつ,どこで栽培化したであろうか。この問題は考古学的発掘によってえられたコムギ遺物の同定とその年代測定という古民族植物学的研究によって解くことができる。最近,南西アジアのいわゆる〈肥沃な三日月地帯〉において,新石器時代遺跡の発掘が大規模に行われ,コムギおよびオオムギの栽培化の問題を解く重要な鍵がえられつつある。

 野生一粒系コムギは前8000年のシリアのテル・ムライビト遺跡から出土しており,当時の先史住民は野生種を採集して食用としていたことがわかっている。この野生種から生じた栽培種は野生種と異なり,熟しても穂軸が自然に折れて脱落しないので区別しうる。この栽培種が最初に出土したのは前6500年のイランのアリ・コシュ遺跡からで,前6750年の有名なイラクのジャルモ遺跡からは,野生種と栽培種の中間と思われるものが出土している。一粒系コムギの栽培化は前7000年の肥沃な三日月地帯で始まったと推定される。しかしこのコムギは後述する栽培二粒系コムギに随伴してしばしば出土していること,またこの地域からムギ類の栽培が伝播(でんぱ)したヨーロッパでは,前4000年ころの新石器時代や,それより新しい遺跡にまれにしか出土していないので,このコムギの栽培は新石器時代でもあまり重要でなかったようで,特殊な地域を除いてはひろく栽培されなかった。

 二粒系コムギの栽培種は多型的である。もっとも原始的なエンマコムギは穎(えい)が硬くて脱粒しにくいが,イラン,イラク,トルコ,ヨルダンの新石器時代の遺跡から出土するので,前7000-前6000年に肥沃な三日月地帯で栽培化されたことを示している。とくに前述のジャルモからは野生種のT.dicoccoidesと相伴って出土し,その特徴は野生種から栽培種に向かう中間段階を示す。エンマコムギの栽培は急激に起こったものではなく,まず野生のT.dicoccoidesが植えられ,それから熟しても小穂の脱落程度の低い栽培型に近いものが生じたのであろう。このような中間過程では野生型のもの,栽培型のもの,それらの中間型が混植されていたことを物語っている。脱落性のないコムギからより多くの収穫が期待できるし,また収穫-貯蔵-播種(はしゆ)のサイクルを繰り返すことにより,自動的に脱落性のない完全な栽培型が先史人たちによって選択されたであろう。エンマコムギよりさらに進化したマカロニコムギは,前1000年ころのティグリス川やナイル川畔の遺跡で見いだされている。これらはエンマコムギに比べて穎がやわらかく脱穀が容易であり,皮性のエンマコムギより突然変異や交雑によって生じたものであり,ずっと歴史が新しい。エンマコムギは前5000-前4000年ころのヨーロッパの新石器時代に広く栽培されていたことが知られている。

 チモフェービコムギは,ザカフカス地域にのみ栽培が限定されており,その栽培化の歴史についてはまだよくわかっていない。

 パンコムギで代表される普通系コムギは,栽培種ばかりで野生種は知られていない。前に述べたように,この群は栽培二粒系コムギと野生のタルホコムギの間の雑種に由来したので,その雑種形成はタルホコムギの分布域内で起こったと考えられる。タルホコムギの主要な群生地帯は北西イラン,ザカフカス,カスピ海沿岸,トルクメン,アフガニスタン北西部である。パンコムギの最も早い考古学的出土品は,前5500年のトルコ,イラク,イランの遺跡から報告されているが,しかしこれらの地域は祖先種のタルホコムギの分布域と一致しない。今後,北西イラン,ザカフカス地方などの発掘が進めば,普通系コムギの確かな起源地とその年代が明らかになるにちがいない。パンコムギは栽培・脱穀・収量・製パンの点でひじょうにすぐれた特性をもっており,現在世界でもっとも広く栽培されているコムギである。

西南アジアの肥沃な三日月地帯で前7000年ころ栽培化されたコムギは,この地域から西へ小アジア全体に広がるとともに,バルカン半島あるいは地中海沿岸を経由して,ヨーロッパのドナウ川とライン川流域に前5000-前4000年ころ到達した。さらに前3000年にはヨーロッパ全域に広がった。北方へはかなり初期に黒海の西海岸全域にひろがり,南ロシア一円に到達した。北東へはイラン高原を経て,アラル海南部地方に前2500年ころ伝播し,南東へはメソポタミアを経て前2000年代にインド西部のインダス渓谷に達した。南方へは前4000年ころナイル川流域に達し,さらに前3000年ころにはアラビア半島を経由してアフリカ北東部に伝播した。中国には中央アジアを経て前2000年ころ伝播したと考えられている。新大陸へのコムギの導入はひじょうに新しく16世紀に入って,またオーストラリアには18世紀の初めに開拓民によってイギリスからもたらされた。
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コムギ(パンコムギ)の茎(稈(かん))は節と節間からなり,9~14節間あるが,上部の4~6節間だけが伸長する。稈長は日本の品種は0.8~1m,外国品種は1.0~1.3mで長稈が多い。葉身は長さ30~40cm,葉鞘(ようしよう)との境目に葉舌と1対の葉耳がある。コムギの葉耳はオオムギより小さい。日本では5月ころに出穂・開花する。穂は複穂状花序で,品種により錐(きり)状,棒状,紡錘状など,いくつかの穂型に分かれる。穂軸の各節に2枚の護穎をもった小穂が互生する。小穂軸には5~10の節があり,各節に1小花がつく。しかし開花するのは下位の3~5小花,稔実するのは基部の3~4小花で,他は退化または発育不全となる。穎果は楕円球状で片側に縦溝がある。大きさは品種によっていろいろで,長さ4.5~6.9mm。日本産のコムギ品種では,千粒重は20~40g,外国の品種には大粒のものが多く,60g以上に及ぶものもある。

コムギは秋にまいて幼植物で越冬してから,春に出穂する秋まき性品種(冬コムギ)と,春に播種して,夏までに出穂結実する春まき性品種(春コムギ)とに区別される。秋まき性品種は,低温にあって初めて穂の分化・出穂に必要な生理的体制を獲得するもので,この過程を春化(バーナリゼーション,春化処理)という。春化に必要とされる低温期間の長短は品種によって異なり,この長短を指標として個々の品種の秋まき性程度が区分される。春まき性品種は秋まき性程度の最も低いものということができる。日本のコムギ栽培は秋まきを主体とするが,秋まき性程度の高い品種ほど北方あるいは標高の高い地域で栽培され,西南暖地ほど栽培される品種の秋まき性程度は低い。ただし北海道では一部春まき性品種を用いた春まき栽培が行われている。このような栽培の地域性を反映して品種数も多いが,農林61号は関東,九州をはじめとして全国栽培面積の1/3以上に作付けされる最も著名な品種である。世界的にみると,いわゆる〈緑の革命〉の原動力となり,中緯度地帯のコムギ生産を飛躍的に向上させたメキシココムギが著名である。この系統には,日本のコムギ品種農林10号の短稈性がとり込まれている。

コムギは食用作物のなかでも最も広く栽培され,スカンジナビア半島の北緯64°地点,ロシアやアメリカでは北緯60°地点を北限とし,南限地は南緯45°付近である。比較的乾燥した温暖な気候に適するが,とくに年平均気温10~18℃のやや冷涼な土地が最適とされる。降水量は年間100~1500mmの範囲だが,そのうち400~900mmの地域で多く栽培される。日本は平均気温10~16℃だが,年降水量が1200~1800mmと多く,とくに登熟期が梅雨期にあたるので好適とはいえない。

 日本での播種適期は,東北地方北部で9月中・下旬,東北の南・中部地方,北関東で10月上・中旬,北陸,山陰で10月中・下旬,関東南部で10月下旬~11月上旬,東海から九州地方にかけては11月中・下旬である。寒冷地ほど適期の幅は狭い。〈イネは地力でとり,ムギは肥料でとる〉といわれるように,収量は肥料に影響されやすい。窒素肥料は,10a当り10~13kgを,元肥に30~60%を施し,残りは分げつ盛期の12~1月の間(寒肥)と,出穂40~50日前に(春肥)追肥として施す。リン酸は10a当り7~9kg,カリは10a当り5~8kgを与える。堆肥は10a当り1000kg施用が標準である。種子消毒には,風呂湯浸法,冷水温湯浸法あるいは薬剤が用いられる。畑作で条間45~60cmの1条まき,水田裏作で条間120cmの2条まきが従来の標準であった。最近は条間15~25cm,株間3~6cmの機械によるすじまきも行われる。冬季には人力による麦踏みやローラーがけを行って,霜柱による根の浮上を抑え,同時に土壌水分の均一化や徒長の抑制などをはかる。コムギ畑,とくに秋まきでは雑草の発生が多い。秋の耕起と除草剤の利用によって雑草を防除する。出穂後40~45日目ごろ,粒の80%が淡褐色に変わり,硬くなったとき,あるいはそれより数日後が収穫適期である。乾燥・脱穀後,さらに水分含量11~12%まで乾燥させて貯蔵する。

穀粒の主用途は小麦粉である。穀粒の断面に,ガラス状に透明で堅い部分の多い粒を硝子(しようし)粒といい,これを粉にすると硬質粉が得られる。硝子粒が70~100%の品種を強力(きようりき)コムギあるいは硬質コムギという。粒の断面に透明部分がなく,全体が白く粉っぽく軟らかいものを粉状粒といい,軟質粉が得られる。粉状粒の品種は軟質コムギと呼ばれる。日本の品種はほとんどすべて軟質または中間質であり,硬質コムギはごくわずかしかない。硬質粉でタンパク質が約12%以上のものを強力粉といい,パン用にする。中間質粉でタンパク含量9%前後のものが中力粉で,おもにめん用である。軟質コムギから得られるタンパク含量が約8.5%以下の軟質粉は薄力粉と呼ばれ,ケーキ,ビスケットなどの菓子用にされる。コムギの国内消費量はほとんどが食料で,残りは飼料用,加工用である。製粉の際に除かれた皮部と胚がコムギふすまで,飼料にされる。胚はメンザイとも呼ばれ,ビタミンB1に富み,自然栄養食品とされる。デンプンは食用のほかのりとしての需要も多い。デンプンを除いた後に残るタンパク質成分である麩(ふ)質(グルテン)は,生麩および焼いて焼麩とする。粒はみそ・しょうゆなどの醸造原料としても重要である。

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小麦は世界の多くの地域で栽培され,前述のようにひじょうに多くの種類があるが,生産量からいうとフツウコムギ(パンコムギ)とマカロニコムギ(デュラムコムギ)の2種が主体であり,通常“小麦”といえばこの2種のことである。この2種の小麦は栽培や取引上の都合から,産地や品種によって,あるいは冬小麦と春小麦,硬質と軟質などの細区分が行われ,さまざまな名称が用いられている。小麦は通常製粉されて小麦粉として食用にされる。小麦粉の主成分はデンプンであるが,グルテンという特殊な植物タンパク質を含んでいる。このタンパク質の特性によって,水を加えて練ると特別な粘弾性をもったドウdoughを作ることができる。このドウは多孔質なパンや細長いめんを作るのに最も適し,他の穀粉には見られない特徴をもつのである。パンもめんも広い嗜好適性をもった食品である。その起源は,両者とも遠く太古にさかのぼるといわれ,長い歴史の中で洗練されてきた食品である。そのさまざまなバラエティが世界中に分布している。小麦粉は,この二大食品の原料であるばかりではなく,菓子などにも使われるなど,穀粉の中では最も広く選好される傾向をもつようである。穀物貿易の中で,小麦が重要な位置を占めていることは,その食品としての性質が,世界の人々によって好まれているためであろう。

 世界の小麦栽培面積は2.2億haで,全穀物栽培面積の32%を占め,収穫量は5.4億tである。これに続く穀物が米の1.5億ha,5.5億t,トウモロコシの1.4億ha5.1億tである(数字はすべて1995年,FAO統計)。第2次大戦前(1934-38年平均,FAO統計)の世界の小麦生産量は1.7億tで,ソ連,アメリカ,中国が上位生産国であった。前述の数値と比較すると,この五十数年間で生産量は3.2倍に増加し,栽培面積も増大したが,単位面積当りの生産量も2倍に増加した。現在の主要な生産国は中国(1995年,1億0200万t),インド(同6300万t),アメリカ(5900万t),フランス(3100万t),ロシア(3000万t),カナダ(2500万t),ドイツ(1800万t),パキスタン(1700万t)などである。

 小麦の国際貿易は19世紀前半ころから行われるようになった。これは産業革命以降,先進国で小麦粉だけの白パンの消費が増加したことと関係している。当初はヨーロッパ内部の交易が主であったが,19世紀後半には新大陸からヨーロッパに向けて輸出されるようになった。20世紀に入るとこの傾向はいっそうはっきりとしてき,カナダ,アルゼンチン,オーストラリア,アメリカが四大輸出国となり,1930年代には世界の輸出量約1400万t(1934-38年平均)の70%を占めるようになった。主要な輸入国はヨーロッパ諸国で全体の80%を占め,中でもイギリスがその40%近くを占めていた。第2次大戦後はアメリカが第1の輸出国となり,1994年の世界の輸出量(1億1100万t)の約30%を占めている。次いでカナダ,オーストラリア,フランスなどが主要輸出国である。輸入国は大きく変わって西ヨーロッパが全量の約15%に減少し,最大の輸入国は中国(800万t)となり,日本も大輸入国(650万t)となった(以上の数字はすべてFAO統計)。すなわち,戦前の貿易パターンは,新大陸から西ヨーロッパへ向かう流れが主流であったが,現代(1980年ころ)ではアメリカ,カナダなどから,旧ソ連,中国など社会主義諸国へ,アジア,南アメリカなどの開発途上国への輸出と,EC(現,EU)諸国間の域内流通が小麦貿易の主流となった。日本も主要輸入国の一つとなり,いわば多極的な交易が行われるようになったのである。また輸出国,輸入国ともに小麦の交易について政府が直接に介入しており,このため国際市場は豊凶などの自然条件の変化のほかに,政治・経済の複雑な諸条件の組合せの下で,激しく変動するようになった。

日本における小麦生産の歴史は,弥生時代までさかのぼって確かめられており,近年は縄文時代晩期にさえも行われていたらしい証拠が出始めている。小麦栽培の普及は奈良時代以降で,調味料としての醬(ひしお)や菓子原料とされた。8~12世紀には救荒作物として栽培が奨励され,鎌倉時代初期(1200年ころ)には米麦二毛作(水田に夏作として水稲,冬作として麦類を栽培)も成立していたと推定されている。地域的な差異もあるが,日本の農業は水稲を主穀とし,水田の開けない耕地に麦類,さらには水田の裏作にも麦類を栽培する方向に進んできたと考えてよい。麦類の中では,大麦を自家消費用,小麦を販売用とする傾向があったようである。そうめん,まんじゅうなどの小麦粉加工品は古くから商品化されており,江戸時代初期にはめん業の特産地が各地に形成されていた。

 1880年ころの生産状況をみると,小麦の栽培面積は36万ha,生産量は29万tで(1878-82年平均,農林水産業累年統計表),これは全麦作の栽培面積で26%,収穫量で21%に相当する。なお,当時の米は栽培面積254万ha,生産量446万tであり,日本農業の中で小麦作の地位は低かった。生産はその後しだいに増大したが,急速な発展は1933年ころからで,40年には栽培面積83万ha,生産量179万tとなった。戦前戦後を通じての最大量であり,生産拡大の一般的な基礎条件として,国内製粉工業の発達や,相対的過剰労働力の圧力などがあげられる。とくにこの時期の急進展には,農村恐慌対策として行われた32年の〈小麦増殖五ヵ年計画〉や,同年に行われた小麦輸入関税引上げ(100斤ごと1円50銭を同2円50銭に)の効果が大きかった。小麦の国際価格は当時著しい低落傾向を示しており,関税引上げはその国内小麦作への影響を防止したのである。このころの小麦需給は〈内需内麦・外需外麦〉といわれ,国産小麦はおおむね国内消費にあてられ,輸入小麦は小麦粉に製粉して中国などに輸出された。このころの小麦粉の輸出量は,全生産量(1935年ころは約100万t)の30%前後であった。第2次大戦となって小麦の需給も逼迫(ひつぱく)し,42年には食糧管理法が制定され,小麦は米とともに政府の管理物資となった。

 第2次大戦後,小麦の生産量は一時期(1945-47)の激減を除けば,62年ころまで比較的安定していた。しかし63年ころからアメリカを始めとする安価な輸入小麦に押されてしだいに減少傾向を示し,73年には栽培面積7.5万ha,生産量20万tとかつてない水準にまで落ち込み,同年の小麦自給率(国内消費仕向け量に対する国内生産量の比率)は4%となった。自給率4%の水準は77年まで続き,78年からいくぶん上昇傾向が見られるようになった。これに対し,小麦の消費量は戦後著しく増大し,1933-38年の国民1人当り年間消費量約10kgが,94年には33kgとなっている。94年の国内生産量は57万t,輸入量は604万tで,増大した消費量はもっぱら輸入によってまかなわれ,主要な輸入先はアメリカ,カナダ,オーストラリアである。

 小麦の価格(麦価)は,食糧管理制度によって政策的に操作されている。戦後食糧事情が好転するようになって,いわゆる逆鞘(ぎやくざや)の傾向が著しくなった。政府の買入価格(生産者価格)が,売渡価格より高い状態が逆鞘で,1980年ころには買入価格が売渡価格の約3倍となっていた。一方,輸入される外国産小麦はすべて政府によって買い受けられる。この外麦の売渡価格は需給状態や国産小麦価格とのバランスも配慮して決められるので,国際価格の変動とは切り離されている。基本的には割高となることをまぬがれない。

 食管制度下の小麦の国内流通は,供給と価格の安定を保ちえているが,生産者価格とも国際価格とも隔離された硬直的な価格となっている。小麦作は食管制度の下で,米作と並んで保護されているといってよいが,米作とはまったく反対の動向を示した。これは小麦作がおもに裏作として,小農経営の中で過剰労働力の消化のために行われていたことと関係している。高度成長期に,農村の過剰労働力が他産業に吸収されれば,小麦を含む麦作は減少せざるを得なかった。食管制度の下での価格政策も,これをくいとめることはできなかったのである。このような小麦作の動向は,日本農業の体質的な問題点を端的に表すものといってよい。
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百科事典マイペディア 「コムギ」の意味・わかりやすい解説

コムギ(小麦)【コムギ】

西アジア原産のイネ科の一〜二年草。世界各地で最も主要な食用作物として古くから栽培されてきた。西アジアでは新石器時代の農耕遺跡から栽培コムギが発見されている。現在,北緯30°〜60°,南緯27°〜40°の間で多く栽培され,主産地は南ロシア,ドナウ川流域,地中海沿岸,中欧,北米,南米パンパス地方,北西インド,華北,オーストラリア南部などであるが,収穫期は各地で異なる。 コムギは,フツウコムギ(パンコムギ),マカロニ(デュラム)コムギなど数種からなるが,フツウコムギが世界の栽培面積の80%を占め,日本のコムギもすべてこれに属する。品種も多い。緑の革命を達成したメキシコ品種は多収品種として有名。このメキシコ品種の育種には日本で育成されたコムギ農林10号が利用された。また秋に播種し初夏に収穫する秋まきコムギ(冬コムギとも)と春に播種する春コムギとがある。茎は高さ1m内外,根もとで多く分岐して束生する。穂は茎頂につき,20内外の小穂を互生。小穂には2〜4の種子がつく。 タンパク質に富んだ硬質粒からは硬質粉が得られ,製パンに用いられる。タンパク質の少ない軟質粉は菓子,めん類等の製造に用いられる。しょうゆ,みその原料としても用いられ,また,ふすまは飼料とする。国際商品としては砂糖・コーヒーと並ぶ重要なもので,主要輸出国は米国・カナダ・アルゼンチン・オーストラリアなど,主要輸入国はヨーロッパ・中近東諸国・日本・中国など。小麦の需給調節と価格安定は世界の食糧供給の面から重要な課題で,国際穀物協定によって市場の安定が図られた。
→関連項目乾燥地農業リンカン(アメリカ)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「コムギ」の意味・わかりやすい解説

コムギ(小麦)
コムギ
Triticum aestivum; wheat

イネ科の一年草または越年草。イネとともに世界的に最も重要な穀物の一つで,栽培の歴史も古い。小アジア地方原産と考えられ,ノハラフタツブコムギ T. dicoccoides とタルホコムギ Aegilops squarrosa との交雑により生じたと考えられている。穎果を精白し,味噌や醤油の原料に用い,また押麦にして米飯に混ぜることもあるが,大部分は製粉してパンや麺類をつくる。コムギ属には 10種以上あるが,最も広く栽培されるのがコムギで,品種も多く,アメリカ合衆国,ロシアをはじめ,カナダ,フランス,アルゼンチン,中国などでそれぞれの品種が栽培されている。またマカロニコムギ T. durum は果の形が長くグルテンに富み,マカロニスパゲティ製造に適していて,地中海や黒海地方でつくられている。

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栄養・生化学辞典 「コムギ」の解説

コムギ

 [Triticum aestivum],[T. durum].カヤツリグサ目イネ科パンコムギ属の越年草の植物体やその種子.世界的に重要な作物,穀物.

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世界大百科事典(旧版)内のコムギの言及

【米】より

…イネの種実をいう。収穫された米はもみ殻をかぶっており,これを〈もみ(籾)〉という。日本では,もみ殻をはずした玄米の形で包装,集荷,貯蔵するのが多いが,最近一部ではもみのばら集荷,貯蔵が行われている。外国では米はすべてもみの形で集荷,貯蔵される。玄米を精米機にかけて,ぬか層や胚芽を取り除いたものが精米(白米)である。米は小麦とともに人類の最も重要な食糧だが,小麦がソ連やアメリカなど冷涼で比較的乾燥した地域で生産されるのに対し,米は日本をはじめアジア南部など高温で水の豊富な地域で生産される。…

【植物】より

…生物界を動物と植物に二大別するのは,常識の範囲では当然のように思えるが,厳密な区別をしようとするとさまざまな問題がでてくる。かつては生物の世界を動物界と植物界に二大別するのが常識だったが,菌類を第三の界と認識すると,それに対応するのは狭義の動物(後生動物),狭義の植物(陸上植物)ということになり,原生動物や多くの藻類などは原生生物という名でひとまとめにされ,また,これら真核生物に比して,細菌類やラン藻類は原核性で,原核生物と別の群にまとめることができる。…

【夏成】より

…中世には〈夏済〉とも書く。夏季に上納される済物,すなわち納期を夏とする年貢などを意味する語。夏成に対比されるのが〈春成〉〈秋成〉で,それぞれ春と秋を納期とするものであった。〈夏麦〉〈麦地子〉などと史料にあるように,一般的には大麦・小麦など麦地子が多かったが,銭納の場合もみられる。戦国家法の一つ《結城氏新法度》(1556)の101条に〈郷中より年貢の取様,夏年貢は五月端午の日より,六月晦日に立て切るべし。…

【麦】より

コムギオオムギライムギエンバクなどの植物やその子実の総称。単に麦といえばとくにオオムギとコムギとを区別せずに示す場合が多い。…

※「コムギ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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