日本大百科全書(ニッポニカ) 「デュ・ボア・レイモン」の意味・わかりやすい解説
デュ・ボア・レイモン
でゅぼあれいもん
Emil Heinrich Du Bois-Reymond
(1818―1896)
ドイツの生理学者。フランス人を両親とし、ベルリンに生まれる。ベルリン大学とボン大学で哲学、のちに化学、物理学、数学、地質学を学び、やがて生理学に専心し、ベルリン大学でJ・P・ミュラーに師事しその助手となった。1858年ミュラーの死とともにベルリン大学生理学教授となり、その後、ベルリン大学総長をも務めた。当時、生物電気発生をめぐってガルバーニとボルタとの間に論争があったが、彼は改良した電流計を用いて、直接、筋肉から興奮時に流れる電流を記録し、活動電流の存在を証明した。このほか、不分極性電極、誘導コイルなどを用いて多くの研究を行い、電気生理学の領域を開拓した。また科学の普及に努め、思想家としても活動し、認識の限界性を主張して不可知論の立場をとった。主著に『自然認識の限界』Über die Grenzen der Naturerkenntnis(1872)、『宇宙の七つの謎(なぞ)』Die sieben Welträtsel(1882)ほかがある。
[村上 彰]