日本大百科全書(ニッポニカ) 「トゥルベツコイ」の意味・わかりやすい解説
トゥルベツコイ
とぅるべつこい
Николай Сергеевич Трубецкой/Nikolay Sergeevich Trubetskoy
(1890―1938)
言語学者。ウィーン大学教授。トルベツコイともいう。4月16日モスクワにて、ロシアの名門公爵家に生まれる。13歳のころからロシア領内のフィン・ウゴル諸民族の民俗学的研究を始める。1908年モスクワ大学入学。インド・ヨーロッパ諸言語、コーカサス諸言語を研究。1913年から1年間ライプツィヒ大学に留学、青年文法学派のK・ブルーグマン、レスキーンAugust Leskien(1840―1916)らに学ぶ。1916年モスクワ大学講師。1917年ロシア革命のためロシアを逃れ、イスタンブール、ソフィアなどを経て、1923年よりウィーン大学スラブ語学講座を担当。R・ヤーコブソンとともにプラハ言語学サークルを代表する理論家でもあった。F・ド・ソシュール、J・ボードアン・ド・クルトネーの思想を批判的に継承し、言語の機能と体系を基盤とする構造主義音韻論の方法を確立した。
没後の1939年に刊行された未完の主著『音韻論の原理』Grundzüge der Phonologieは、彼の生前の研究の集大成であり、個別言語の音韻分析の具体的手順を示すとともに、音素、音韻的対立、相関関係、弁別特徴、有標・無標等の概念、また約200に及ぶ諸言語の分析に基づく音韻体系の類型などについて詳述したもので、その後の音韻論発展の実践的・理論的基盤となった。死の数か月前からその反国家主義的思想のためナチスのゲシュタポによる迫害を受け、アメリカへの亡命を考えたが果たさず、1938年6月25日ウィーンで狭心症のため48歳の若さで没した。
[長嶋善郎 2018年7月20日]