トハチェフスキー

デジタル大辞泉 「トハチェフスキー」の意味・読み・例文・類語

トハチェフスキー(Mikhail Nikolaevich Tukhachevskiy)

[1893~1937]ロシア軍人参謀総長・国防人民委員代理、ソ連最初の元帥一人ロシア革命後の内戦期に赤軍を指揮して戦功をあげ、その後も赤軍の近代化に努めたが、スターリン大粛清により銃殺された。1961年名誉回復。トゥハチェフスキー

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「トハチェフスキー」の意味・わかりやすい解説

トハチェフスキー

ソ連の軍人,ソ連邦最初の元帥の一人。トゥハチェフスキーとも。十月革命後の内戦期の活躍から赤軍の近代化に果たした役割まで,卓越した指導力で異才を謳われたが,スターリンの粛清により悲劇的な死をとげた。没落貴族の家に生まれ,アレクサンドロフスキー士官学校を卒業後第1次世界大戦に参加,ドイツ軍捕虜となるが脱走し,十月革命勃発とともに,赤軍に加わる。司令官として各地に転戦して,ウラル,シベリア,カフカス方面で反革命軍を撃破,革命戦争の英雄となる。1920年の対ポーランド戦争ではワルシャワ攻略を試み失敗。1921年のクロンシュタット水兵反乱タンボフ農民の大暴動鎮圧した。1925年〜1928年赤軍参謀長を経て,1931年陸海軍人民委員代理兼兵器局長に就任し,赤軍の再編と近代化を推進,世界で最初に機械化部隊,空挺部隊を設置するなど独創的戦術を編み出した。ハルハ川戦争ノモンハン事件,1939年)での日本軍の完敗は彼が推進した赤軍近代化の成果といわれる。1934年,党中央委員候補,1935年には他の3名の将軍とともにソ連邦最初の元帥号を受けるが,スターリンの大粛清によって1937年5月ドイツのスパイとして逮捕され,反逆罪で6月11日処刑された(トハチェフスキー事件)。1961年に名誉回復。全世界に衝撃を与えたこの粛清は赤軍の指導部全般に及び,ヒトラーは,粛清による赤軍の弱体化で対ソ短期決戦でソ連邦を粉砕可能と判断したといわれる。作曲家ショスタコービチの回想記に彼との深い交友関係が記されている。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

改訂新版 世界大百科事典 「トハチェフスキー」の意味・わかりやすい解説

トハチェフスキー
Mikhail Nikolaevich Tukhachevskii
生没年:1893-1937

ソ連邦最初の元帥の一人。トゥハチェフスキーとも呼ぶ。赤軍近代化の父として異才を認められたが,スターリンの粛清の犠牲となり,悲劇的死を遂げた。没落貴族の家に生まれ,アレクサンドロフスキー士官学校を卒業するとすぐに第1次世界大戦に参加,ドイツ軍に捕らえられたが,脱走を企てること6回目にようやく成功。十月革命とともに赤軍に身を投じ,軍司令官としてボルガ川沿岸地域を転戦,またウラル,シベリア,カフカス方面で反革命軍を撃破した。1920年のポーランド戦役では西部方面軍司令官としてワルシャワ攻略を試みて失敗した。21年にはクロンシタットの水兵を中心とする大反乱やタンボフの3万をこす農民の暴動の鎮圧に当たる。25-28年赤軍参謀長。31年陸海軍人民委員代理兼兵器局長に就任以来,赤軍の再編制と技術革新を指導,世界にさきがけて機械化部隊や空挺部隊を導入するなど,独創的戦術を編み出した。34年には党中央委員候補に選出され,35年ボロシーロフら4名とともにソ連最初の元帥の称号を受けた。やがて粛清の波にのみ込まれ,37年5月逮捕,6月11日,反逆罪で銃殺されたが,61年正式に名誉を回復された。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「トハチェフスキー」の解説

トハチェフスキー
Mikhail Nikolaevich Tukhachevski

1893〜1937
旧ソ連の軍人
十一月革命後,共産党に入党し,赤軍(赤衛軍)を指揮して反革命軍を撃破,参謀長から国防人民委員代理に昇進したが,1937年6月反ソ陰謀の罪で銃殺された。赤軍近代化の父とされる。スターリン批判後,名誉回復された。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「トハチェフスキー」の意味・わかりやすい解説

トハチェフスキー
とはちぇふすきー

トゥハチェフスキー

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内のトハチェフスキーの言及

【ソビエト連邦】より

…しかし,スターリンの名が冠された新憲法が〈世界で最も民主的な憲法〉として36年12月に公布される一方で,ジノビエフ,カーメネフら旧反対派の幹部が〈ゲシュタポの手先〉として死刑を宣告される公開裁判が始められた。この動きは37年初めに打ち出されたスターリンの階級闘争激化理論によって加速され,トハチェフスキーら軍幹部の〈陰謀〉が6月に摘発されると,大量テロルの嵐が荒れ狂うことになった。党,政府,企業の幹部がドイツや日本のスパイとして処刑されたり,ラーゲリに送られ,そのあとは,〈上からの革命〉期に教育を受けた若い幹部が埋めた。…

【ロシア革命】より

…赤軍がピウスーツキ軍を粉砕してしまえば,この委員会がポーランドの革命政府となったであろう。だが,8月15日トハチェフスキーが率いる赤軍はワルシャワ近郊で進撃を止められ,退却する。革命の軍事的輸出は失敗したのである。…

※「トハチェフスキー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

世界の電気自動車市場

米テスラと低価格EVでシェアを広げる中国大手、比亜迪(BYD)が激しいトップ争いを繰り広げている。英調査会社グローバルデータによると、2023年の世界販売台数は約978万7千台。ガソリン車などを含む...

世界の電気自動車市場の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android