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ソ連邦最初の元帥の一人。トゥハチェフスキーとも呼ぶ。赤軍近代化の父として異才を認められたが,スターリンの粛清の犠牲となり,悲劇的死を遂げた。没落貴族の家に生まれ,アレクサンドロフスキー士官学校を卒業するとすぐに第1次世界大戦に参加,ドイツ軍に捕らえられたが,脱走を企てること6回目にようやく成功。十月革命とともに赤軍に身を投じ,軍司令官としてボルガ川沿岸地域を転戦,またウラル,シベリア,カフカス方面で反革命軍を撃破した。1920年のポーランド戦役では西部方面軍司令官としてワルシャワ攻略を試みて失敗した。21年にはクロンシタットの水兵を中心とする大反乱やタンボフの3万をこす農民の暴動の鎮圧に当たる。25-28年赤軍参謀長。31年陸海軍人民委員代理兼兵器局長に就任以来,赤軍の再編制と技術革新を指導,世界にさきがけて機械化部隊や空挺部隊を導入するなど,独創的戦術を編み出した。34年には党中央委員候補に選出され,35年ボロシーロフら4名とともにソ連最初の元帥の称号を受けた。やがて粛清の波にのみ込まれ,37年5月逮捕,6月11日,反逆罪で銃殺されたが,61年正式に名誉を回復された。
執筆者:平井 友義
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…しかし,スターリンの名が冠された新憲法が〈世界で最も民主的な憲法〉として36年12月に公布される一方で,ジノビエフ,カーメネフら旧反対派の幹部が〈ゲシュタポの手先〉として死刑を宣告される公開裁判が始められた。この動きは37年初めに打ち出されたスターリンの階級闘争激化理論によって加速され,トハチェフスキーら軍幹部の〈陰謀〉が6月に摘発されると,大量テロルの嵐が荒れ狂うことになった。党,政府,企業の幹部がドイツや日本のスパイとして処刑されたり,ラーゲリに送られ,そのあとは,〈上からの革命〉期に教育を受けた若い幹部が埋めた。…
…赤軍がピウスーツキ軍を粉砕してしまえば,この委員会がポーランドの革命政府となったであろう。だが,8月15日トハチェフスキーが率いる赤軍はワルシャワ近郊で進撃を止められ,退却する。革命の軍事的輸出は失敗したのである。…
※「トハチェフスキー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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