メキシコ中北部,同名州の州都。正称はビクトリア・デ・ドゥランゴVictoria de Durango。人口45万4565(2003)。標高1889m。年平均気温17℃,年降水量440.6mmで半乾燥気候。付近のメルカード山地の鉄鉱(産出量は同国第1位),ドゥランゴ州西部を占める西シエラ・マドレ山脈の金,銀,亜鉛等の産出により鉱山都市として発達。メキシコ中央高原北端にあたる東部では,肉牛飼育を中心とした牧畜,ラグネーラの灌漑地域ではトウモロコシ,綿花,穀物を産し,これらの農業地域の中核都市でもある。同州の主要な製造業は木材・食品加工業で,北東部のレルド市が中心であるが,近年ドゥランゴ市郊外に工場団地が形成されている。植民地時代にはヌエバ・ビスカヤ(ドゥランゴ,チワワ両州)の主都であったため,市の中心部には,大聖堂(17世紀)など歴史的建造が多く往時の繁栄をしのばせる。
執筆者:栗原 尚子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
メキシコ中西部、ドゥランゴ州の州都。正称ビクトリア・デ・ドゥランゴVictoria de Durango。西シエラ・マドレ山脈中の標高1888メートルにあり、気候は温和である。人口42万7135(2000)。付近にはメルカド山地の鉄鉱石をはじめ、金、銀、亜鉛などの鉱山が多く、鉱業都市として発展した。周辺ではワタ、羊毛、タバコ、サトウキビ、木材などを産し、その集散・加工も盛んである。1563年に建設され、植民地時代にはヌエバ・ビスカヤ地方(ドゥランゴ、チワワ両州を含む)の行政・宗教中心地であった。当時の政庁や18世紀の教会など、歴史的建造物が残る。メキシコ革命の英雄パンチョ(フランシスコ)・ビリャの生誕(1877)地。
[高木秀樹]
…この事件後,首相の座が社会党過激派のラルゴ・カバリェロから親共産党のJ.ネグリンへ移ったために,共和国陣営内での共産党の発言力はしだいに増していった。 ドイツ,イタリア両国の空軍,とりわけイタリア空軍の援助(1937年3月1日のドゥランゴへの爆撃および4月26日のゲルニカ爆撃)により,フランコの軍隊は6月19日に,通称〈鉄のベルト地帯〉と呼ばれる防御線を突破した。その後,ビルバオへ向けて進撃し,サンタンデル(8月26日),オビエド(10月17日),ヒホンとアビレス(10月21日)を占拠し,ビスケー湾に臨む北部一帯を制圧した。…
※「ドゥランゴ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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