フォックス(読み)ふぉっくす(英語表記)James Emory Foxx

デジタル大辞泉 「フォックス」の意味・読み・例文・類語

フォックス(fox)

きつね。狐の毛皮。

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精選版 日本国語大辞典 「フォックス」の意味・読み・例文・類語

フォックス

  1. 〘 名詞 〙 ( [英語] fox ) 狐。また、その毛皮。〔舶来語便覧(1912)〕

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「フォックス」の意味・わかりやすい解説

フォックス(James Emory Foxx)
ふぉっくす
James Emory Foxx
(1907―1967)

アメリカのプロ野球選手(右投右打)。大リーグ(メジャー・リーグ)のフィラデルフィア・アスレチックス(現オークランド・アスレチックス)、ボストン・レッドソックス、シカゴ・カブス、フィラデルフィア・ブルージェイズ(現フィラデルフィア・フィリーズ)でおもに一塁手としてプレー。「ザ・ビースト」とよばれたほどの怪力で強打を飛ばし、三冠王も獲得したスラッガーである。

 10月22日、メリーランド州サドラーズビルで生まれる。1924年、アスレチックスに入団。当初は捕手で、25年に大リーグに昇格した。一塁手へ本格的に転向した1929年から長距離打者へと変貌(へんぼう)し、12年連続ホームラン30本以上、13年連続打点100以上をマークした。その1929年からチームは2年連続でワールド・シリーズを制し、31年もリーグ優勝。翌32年には本塁打と打点の二冠王となり、33年には三冠王を獲得し、両年とも最優秀選手(MVP)に選ばれた。風貌がよく似ており、ホームラン打者であったことから、「右打ちのベーブ・ルース」とよばれた。1935年にも本塁打王を獲得。翌36年にはレッドソックスに移籍し、38年には首位打者と打点の二冠王で3回目のMVPを受賞した。1939年にも本塁打王となった。1941年に打点は105ながらホームラン19本と強打に陰りがみえると、42年の途中でカブスに放出された。1945年はフィラデルフィア・ブルージェイズでプレーしたが7本塁打に終わり、同年限りで引退した。

 20年間の通算成績は、出場試合2317、安打2646、打率3割2分5厘、本塁打534、打点1922。獲得したおもなタイトルは、新人王、首位打者2回、本塁打王4回、打点王3回、MVP3回。1951年に野球殿堂入り。

[山下 健]


フォックス(Charles James Fox)
ふぉっくす
Charles James Fox
(1749―1806)

イギリスの政治家。アメリカ独立戦争期からホイッグ党に属し、1782年ロッキンガム内閣の外相。ロッキンガム侯の死後、ホイッグ党の指導者となり、翌1783年、再度外相。彼は、国王は議会の多数党の意志に従って大臣を任免すべきだと主張してジョージ3世と激しく対立、1783年末に更迭されて以後、ジョージ3世とピット(小)首相に対する野党活動を展開した。1790年代にはフランス革命に対する干渉と国民の政治的自由の抑圧に反対する一方、穏健な議会改革を主張して、ホイッグ党の自由主義的な路線を確立した。1806年のピット(小)の死後、グレンビルWilliam Wyndham Grenville(1759―1834)と協力して組閣し、外相となったが、まもなく病没した。彼が提案した奴隷貿易廃止は、翌1807年に実現をみた。

[青木 康]


フォックス(George Fox)
ふぉっくす
George Fox
(1624―1691)

キリスト教プロテスタントの一派クェーカー派の創始者。毛織物職人の子としてレスターシャーに生まれ、ほとんど教育を受けずに靴屋の徒弟になった。19歳のときに奉公をやめ、真の信仰を求めてピューリタン革命さなかの各地を放浪した。1647年、突如神秘的な体験をして、すべての人に「内なる光」があることを確信し、信仰における内面的確信を重視する立場にたって、イングランド北部やウェールズで伝道を開始した。フォックスとその一派は、信仰に熱狂するあまり打ち震えたほどだったことから、クェーカーQuaker(震える人)という名でよばれるようになった。王政復古後も、たび重なる投獄にもめげず運動の組織化に努力し、当時のキリスト教諸教派のなかでただ一つクェーカー派を生き残らせるのに成功したが、1691年1月13日ロンドンで没した。(書籍版 1988年)
[小泉 徹]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フォックス」の意味・わかりやすい解説

フォックス
Foxx, Jamie

[生]1967.12.13. テキサス,テレル
アメリカ合衆国コメディアン,歌手,俳優。本名 Eric Marlon Bishop。物まね芸が評判を呼び,のちに映画俳優としても実力を示した。5歳頃からピアノを始め,学校に通いながら地元のコメディクラブに出演する。1991年コメディ・コンテストで優勝し,テレビのコント番組にレギュラー出演を果たす。1994年にデビューアルバム "Peep This"を発売。1996年,冠番組『ザ・ジェイミー・フォックス・ショー』The Jamie Foxx Showをもつ。映画俳優としてはオリバー・ストーン監督作『エニイ・ギブン・サンデー』Any Given Sunday(1999)で初めて評価され,モハメド・アリの伝記『ALI/アリ』Ali(2001)のセコンド役で深みのある役をこなし演技力を証明した。レイ・チャールズに扮した『Ray/レイ』Ray(2004)では,チャールズの体の動きをそっくり自分のものとする迫真の演技でアカデミー賞主演男優賞を受賞した。同年度『コラテラル』Collateral(2004)でもアカデミー賞助演男優賞にノミネートされていた。2005年に発売した 2枚目のアルバム『アンプレディクタブル』Unpredictableはヒットチャートの 1位に躍り出た。その後もミュージカル映画ドリームガールズ』Dreamgirls(2006),『路上のソリスト』The Soloist(2009),『完全なる報復』Law Abiding Citizen(2009)などに出演。

フォックス
Fox, Charles James

[生]1749.1.24. ウェストミンスター
[没]1806.9.13. デボンシャー
イギリスの政治家。オックスフォード大学を出て,1768年トーリー党の下院議員,70~72年 F.ノース内閣の海軍次官,大蔵次官をつとめたが,74年国王ジョージ3世と対立して罷免された。北アメリカ植民地問題を機にホイッグ党に移り,政敵ノースの植民地政策を批判。 82年ロッキンガム内閣の外相。シェルバーン (伯)内閣 (1782~83) 成立に際し,王の下命による組閣に抵抗し,ノースと協調,フォックス,ノース両派を連合して,シェルバーン政権の打倒に成功。ポートランド (公)を名目首班とする連立内閣をつくったが,インド法案で瓦解 (83) 。その後ピット (小)内閣 (83~1801) 時代にフランス革命が起ると (89) ,革命を歓迎し,対フランス戦争に反対。 1806年ピットの死後,W.グレンビルの「挙国実力者内閣」の外相として入閣したが,まもなく病死。

フォックス
Foxe(Fox), Richard

[生]1448? リンカーンシャー,ロプズリー
[没]1528.10.5. ウィンチェスター,ウルブズリー
イギリスの聖職者,政治家。ヘンリー7世に即位前から仕え,即位後は国璽尚書兼エクセター司教。スコットランド,フランス,ネーデルラントなどとの外交折衝にあたり,1501年には王子アーサーとカサリン (アラゴンの) の婚約交渉をまとめ,03年には王女マーガレット・チューダーとスコットランド王ジェームズ4世の結婚交渉にあたった。 01~28年ウィンチェスター司教。ヘンリー8世の初期も側近として名声を得たが,17年宮廷を辞し,司教区の行政に主力を注いだ。学者や学術団体の援助者としても知られ,ケンブリッジ大学の総長もつとめた (1500~19) 。またギリシア古典研究を目的とするコープス・クリスティ・カレッジをオックスフォード大学に創設した。

フォックス
Fox, Sir William

[生]1812.1.20. ダラム,サウスシールズ
[没]1893.6.23. オークランド
ニュージーランドの政治家,歴史家。オックスフォード大学を卒業後,弁護士となったが,1842年ニュージーランドへ移住。 56年にウェリントン地方議員となり,自治と責任内閣制の確立のために活動したが,マオリ族を敵視し,その土地の没収を主張した。首相も幾度かつとめたが,J.ボーゲルらに実権を握られていた。 79年ナイト爵を叙勲。歴史家としても知られ,主著に『ニュージーランドの戦争』 The War in New Zealand (1860) がある。

フォックス
Fox, Vicente

[生]1942.7.2. メキシコシティー
メキシコの政治家。大統領(在任 2000~06)。フルネーム Vicente Fox Quesada。メキシコシティーのイベロアメリカ大学経営学部で学位を取得後コカ・コーラに就職し,1975~79年メキシコ・コカ・コーラの社長を務めた。1987年に国民行動党 PANに入党,翌 1988年下院議員に当選。1995年グアナフアト州知事に選出された。1998年大統領選挙に立候補するため州知事を辞任した。2000年の大統領選挙に PANから立候補して当選,71年に及ぶ制度的革命党 PRIの一党支配を終わらせた。在任中はアメリカ合衆国との関係改善に努め,チアパス州などでの暴動を鎮圧した。

フォックス
Fox, George

[生]1624.7.
[没]1691.1.13. ロンドン
イギリスの宗教家。フレンド派 (クェーカー派) の創設者。放浪生活ののち,1647年「真理の友」 Friends of truthの会を設立,内なるキリスト,内なる光による救済を説き,多くの同志,信奉者を得た。教会出席をやめ,典礼によらなくとも生けるキリストとの交流が得られると説いたため,49年イギリス国教会からの圧力を受け,投獄されたが,出獄後,イギリス各地を伝道旅行し,さらに 57年以降スコットランド,アイルランド,オランダ,ドイツ,西インド諸島,北アメリカなどにおもむき,伝道に努めた。死後,『日記』 Journal (1694) が出版された。

フォックス
Fox, Sir Stephen

[生]1627
[没]1716
イギリスの政治家,財務官僚。パーシー卿に仕え,清教徒革命で国王派につき,皇太子チャールズ (のちのチャールズ2世) とともに亡命。クラレンドン (伯) の推挙により亡命宮廷の財政担当者になり,経理の才能を発揮して,王政復古後,軍事支払長官,大蔵卿に任じられ,1665年ナイト爵に叙せられた。チェルシー国立廃兵院をはじめ,施療院,教会,学校など多くの施設を建立。ウィリアム3世のもとでも大蔵卿にとどまった。次男ホラント男爵ヘンリーは 1700年代後半,外相などをつとめた政治家 C.フォックスの父。

フォックス
Fox, Sidney Walter

[生]1912.3.24. ロサンゼルス
[没]1998.8.10
アメリカの生化学者。カリフォルニア大学で学び,1940年カリフォルニア工科大学で学位取得。アイオワ州立大学教授を経て,マイアミ大学教授 (1964) 。生命の起原に関する実験的研究で知られる。アミノ酸溶液を加熱することによって蛋白質類似の物質を出現させることに成功し,それを冷却すると,これら蛋白質類似物質が凝集して細胞に似た構造をつくり上げることを発見した (1959) 。彼の研究は,生命の起原に関する問題の解明に前進をもたらした。

フォックス
Foxe, John

[生]1516. リンカーンシャー,ボストン
[没]1587.4.18. ロンドン
イギリスの宗教家。オックスフォード大学に学び,1553年大陸に渡り,59年帰国。大陸滞在中,プロテスタント迫害の歴史『殉教者伝』 (ラテン語版) を著わして,好評を博し,63年その英語版"Acts and Monuments of These Latter and Perilous Days"を公刊。"The Book of Martyrs"あるいは「フォックスの殉教書」と通称されて,多大の反響を呼んだ。

フォックス
Fox, William

[生]1879.1.1. ハンガリー
[没]1952.5.8. ニューヨーク
ハンガリー出身のアメリカの映画企業家。 1904年ニッケルオデオンのチェーンを強化し,1915年フォックス映画会社を設立,パラマウントと並んで 1920年代のアメリカ映画界に君臨した。トーキーへの転換で経営的に失敗し,1930年代に金融資本との戦いで敗退。

フォックス
Fox, Ralph

[生]1900
[没]1937
イギリスの作家。共産主義者として評論や小説を書いた。主著『小説と人民』 The Novel and the People (1937) 。スペイン内乱に際し,政府側義勇軍に参加して戦死。

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改訂新版 世界大百科事典 「フォックス」の意味・わかりやすい解説

フォックス
Charles James Fox
生没年:1749-1806

イギリスの政治家。1768年19歳で下院議員となり,論客E.バークと親交を結び,ホイッグ党の実力者として頭角を現した。ジョージ3世のアメリカ植民地政策を批判し,82年のホイッグ政権にイギリス最初の外務大臣Secretary of State for Foreign Affairsとして入閣,翌年政敵ノース卿と連立内閣をつくったが,東インド会社改革法案の成立に失敗して内閣は数ヵ月という短命に終わった。以後23年間,主として小ピット政権下に野党指導者として活躍した。フランス革命を歓迎して対仏戦争に反対したためしだいに政界で孤立し,盟友バークともたもとを分かち,94年のホイッグ党分裂後は50人弱の仲間を率いて野党にとどまった。1806年再度外務大臣に就任して対仏講和を図ったが,ナポレオンの強硬姿勢にあい挫折し,同年みずから上程した奴隷貿易廃止法案の成立を待たずに死去した。彼は同時代人からは変節漢,過激派との非難を浴びせられたが,雄弁と教養によって影響力をもち,のちに〈自由の大義の擁護者〉としての評価を得た。
執筆者:


フォックス
George Fox
生没年:1624-91

基督友会(フレンド派),いわゆるクエーカー派の創始者。イギリスに生まれ,高い教育は受けなかったが深い宗教的感受性の持主で,当時の制度的な教会にあきたらず,苦悩と放浪の生活を送った。1646年〈生けるキリストの内なる光〉を発見し〈真理は魂に語りかける内なる声にある〉と説教を始めた。たびたび投獄されたがその熱意により信奉者が集まり,〈真理の友Friends of the Truth〉という基督友会の前身となった信仰団体を組織した。
執筆者:

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「フォックス」の解説

フォックス(チャールズ)
Charles James Fox

1749~1806

イギリスの政治家。初めトーリ党議員として1768年に下院に入ったが,ノースによるアメリカ植民地に対する政策を批判し,改革を唱えてホイッグ党に接近し,82年,その内閣に参加。のちノースとの連立内閣を組織するなど変節を非難されたが,豊かな古典的教養と雄弁の才をもって大きな影響力を持った。フランス革命には一貫して同情を寄せ,自由主義的立場から国内の反動的傾向を批判した。


フォックス(ジョージ)
George Fox

1624~91

イングランドの宗教家。織布工の子に生まれ,靴屋の徒弟などをへて放浪生活を経験。回心の体験によってクエーカー教の創始者となった。

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百科事典マイペディア 「フォックス」の意味・わかりやすい解説

フォックス

英国の政治家。初めトーリー党,後そのアメリカ植民政策を批判してホイッグ党内閣に参加,1783年トーリー党と連立内閣を組織。無節操と非難されたが,豊かな古典的教養と雄弁によって大きな影響力をもった。フランス革命には一貫して同情を示した。
→関連項目ノースロッキンガム

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旺文社世界史事典 三訂版 「フォックス」の解説

フォックス(チャールズ)
Charles James Fox

1749〜1806
イギリスの政治家
1770年に21歳でノース内閣の海軍次官となったが,のち植民地政策でノースと対立して辞任。アメリカの独立を承認し,フランス革命を支持して対仏講和を主張した。死の翌年にみずからが上程した奴隷貿易廃止法が成立した。

フォックス(ジョージ)
George Fox

1624〜91
イギリスの宗教家
1650年ごろプロテスタントの一派クエーカーを創設した。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

デジタル大辞泉プラス 「フォックス」の解説

フォックス

ドイツのフォルクスワーゲンが2004年から製造、販売している乗用車。3ドアの小型ハッチバック。ルポの後継車として開発された。

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367日誕生日大事典 「フォックス」の解説

フォックス

生年月日:1879年1月1日
アメリカの映画制作者
1952年没

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世界大百科事典(旧版)内のフォックスの言及

【アレウト[列島]】より

…アラスカ半島先端からベーリング海と太平洋との境界を構成しながら,約2000kmにわたって弧状に延びる。東からフォックス,フォー・マウンテンズ,アンドレアノフ,ラット,ニア諸島の順に並ぶ。火山性の島々が大部分で活火山もあり,樹木はなく,強風,濃霧に見舞われる。…

【毛皮】より

…比較的安価で気軽に着用できる。 フォックスfoxキツネの毛皮。ふつうは赤みの勝った黄色い毛色だが,紅(あか)ギツネ(カムチャツカ産のものは火のような赤い色をした最高級品),銀ギツネ(黒地に銀色の刺毛が入る。…

【ビュルテンベルク】より

…しかし国の統一回復のためには領邦議会の協力を要したため,エーバーハルト1世の死後議会の力が強まり,議会は1514年のチュービンゲン協約により強力な政治的発言権を獲得,以後19世紀に至るまで,議会の力の強いことがビュルテンベルクの際だった特徴となる。18世紀のイギリスの政治家C.J.フォックスは〈ヨーロッパで立憲政体の国はイギリスとビュルテンベルクのみ〉と言ったと伝えられる。議会と争い,反対者を次々と牢獄に送った18世紀の暴君カール・オイゲンKarl Eugen(在位1737‐93)も,1770年の永代協約で結局は議会の権利を認めている。…

【クエーカー】より

…17世紀イングランド,ピューリタン革命の中で発生したピューリタン的プロテスタントの一派。クエーカーという名前は,1650年治安判事ベネットが,この派の開祖G.フォックスの説く神の言(ことば)に震えさせられたことから,ベネットによってつけられたあだ名といわれる。しかしクエーカーたちは彼らの集会で霊的経験をしたとき震えることからこの名を認めている。…

【幻視】より

…とくにこの時期スペインには,アビラのテレサや十字架のヨハネらの瞑想神秘主義者が出て,祈りによる幻視体験を最重要な信仰生活としてとらえ,また反宗教改革期のイグナティウス・デ・ロヨラも《心霊修業》と呼ばれる一種の幻視体験カリキュラムを構築した。クエーカー派の開祖G.フォックスは,町を歩いているさなかにさえつねに神の啓示を耳にしていたといわれる。またジャンヌ・ダルクの得た幻視は有名である。…

※「フォックス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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