ノイエ・ザハリヒカイトNeue Sachlichkeitの訳。第1次大戦後のドイツ美術における新しい具象的傾向に対して名づけられた言葉で,マンハイム美術館長ハルトラウプGustav Friedrich Hartlaub(1884-1963)が主宰した美術展(1925)の名称に由来する。第1次大戦中から戦後にかけてのイタリアの形而上絵画と擬古典主義,ピカソらの新古典主義,ダダの即物志向などから影響を受けながら,敗戦後のドイツでは,戦前の黙示録的,抽象的,情熱的な表現主義への反動として事象を冷静な視覚でとらえるさまざまな傾向が現れた。そこには戦後社会の混乱の中で見いだされた孤独な事物体験,人間疎外,生活態度などが反映している。ハルトラウプは新即物主義をグロッス,O.ディックス,ベックマンMax Beckmann(1884-1950)らの時代批判的な左派または〈真実主義Verismus〉とシュリンプGeorg Schrimpf(1889-1938),カーノルトAlexander Kanoldt(1881-1939)らの右派または新古典主義とに分けている。人間をマネキン風あるいは獣的に描くグロッス,デフォルメされた戦争画や娼婦像で人間の醜悪を暴くディックス,からみあう群像やうつろな事物の静物画で世界に投げ込まれた人間の不安な実存と孤独を表現するベックマンなどの批判的ないし実存的リアリズムに対し,右派の風景や人物画には時代を超えた牧歌的雰囲気があり,むしろ新ロマン派と呼べるような審美性が漂っている。したがって事象への回帰といっても,そこには過去の自然主義的客観描写とは異質な背景があり,それぞれに別の観念あるいは謎めいた現実が隠されている。美術史家ローFranz Roh(1890-1965)が《表現主義以後》(1925)で新即物主義を〈魔術的リアリズム〉と言い換えている。
このような新即物主義美術の傾向は,ワイマール共和国が1924年以後相対的安定期に入り,機械と技術の時代が到来するとともにさらに深化し,対象の冷たい描写が精密になる一方で,その暗示的な性格もいっそう強まっている。巨大な機械に動物や女体をからませるグロースベルクC.Grossberg,女性優位の疎外された男女関係を突き放して描くレーダーシャイトA.Räderscheidt,その関係に退廃をひそませるシャートC.Schad,大都市の街や看板を人間不在で描くブンダーワルトG.Wunderwald,飛行機や巨船のある圧倒的な風景とそれに無関心な人間像とを対立させるラドツィウィルF.Radziwillなど,彼らの即物主義には一方で1920年代のアメリカン・シーン・ペインティング,他方ではパリのシュルレアリスム絵画と似通う要素がある。この,平凡な日常生活を対象にした新即物主義とは対照的に,左派は28年に〈革命的造形家協会〉(通称ASSO)を結成し,グルンディヒH.Grundigなどが社会主義リアリズムをめざして,典型的労働者像や時代批判のリアリズム絵画を展開した。後述の写真や文学のほか,音楽でもヒンデミットらの反ロマン主義的創作やギーゼキングらの客観主義的演奏スタイルについていわれる。
執筆者:土肥 美夫
写真における新即物主義は,やはり1920年代半ばのドイツに,それまでのサロンを中心としたセンチメンタルでロマンティックなピクトリアリズムの写真とまったく対照的なものとして現れた。日常的なありふれたものや景観を対象として,レンガー・パッチュAlbert Renger-Patzsch(1897-1966)がレンズの鮮明な描写力を使った写真を撮りはじめ,1928年に出版された《世界は美しいDie Welt ist schön》は,写真だけがもつ客観的な再現力による,それまでになかった〈美〉を認識させるものであった。またレルスキーHelmer Lerskiが31年に出版した《日常の顔Köpfe des Alltages》は,クローズアップによる労働者のポートレートで,対象の内面へ向かうことではなく,人間の皮膚をリアルに描くことによってその実在感をもたらすものであった。これらの動きは,ほぼ同時期にL.モホリ・ナギらによって展開されたバウハウスでの写真のあり方と対をなすものであり,ともに機能を極限まで使うことによって新しい地平を切り開いた。
執筆者:金子 隆一
文学における新即物主義は,まずルポルタージュ風の小説やバラード風の歌となって現れたが,前者には戦争のリアルな細部描写で読者をひきつけたL.レンの《戦争》(1928)やレマルクの《西部戦線異状なし》(1929),後者にはリンゲルナッツのグロテスクな即興詩や,ケストナー,トゥホルスキー,W.メーリングらのしんらつな社会風刺詩がある。すなわち,新即物主義の文学は,事実に即し事実そのものに語らせようとするが,19世紀の自然主義の客観的写実とは異なり,生の仮面をはぎながらも,その傷口を嘲笑やグロテスクでニヒリスティックにおおい隠そうとする,いわば知性主義によって貫かれていた。したがって,その代表的作品には,東は犯罪,中央は詐欺,北は貧困,西は淫乱の大都市ベルリンを舞台としたものが多く,再生を誓う前科者の一労働者の物語,デーブリーンの《ベルリン・アレクサンダー広場》(1929),小市民の憂鬱な生活を描いたH.ファラダの《安サラリーマン,さあどうする》(1932),ともにアウトサイダー的インテリ青年の悲劇的運命を戯画化したケストナーの《ファービアン》(1931)とケステンHermann Kesten(1900-96)の《山師》(1932)などがあげられる。とりわけ《ファービアン》は,20年代末の犯罪,詐欺,貧困,ポルノなど大都会の退廃を即物的に描いたがゆえに〈アスファルト文学〉とも酷評されたが,主人公にみられるわざとらしいむとんちゃくさと一抹のロマン主義は,〈黄金の20年代〉に支配的な生活気分で,新即物主義の一面でもある。
執筆者:早崎 守俊
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ノイエ・ザハリヒカイトの訳語。ドイツにおける1920年以降の前衛芸術運動。その名称は1925年マンハイム美術館で催された展覧会名に由来している。1910年代の非合理的な美術の傾向に対立して、即物的な対象把握による実在感の回復を意図する。有力な画家としてグロッスおよびディックスOtto Dix(1891―1969)がいる。ベルリンのダダ運動を経てきたこの2人には社会参与の意欲が強く、第一次世界大戦後の世相を左翼的な立場から痛烈に風刺し批判した。社会の不正、退廃、悪徳を迫真の描写力で描くディックスは「プロレタリアートのクラナハ」の異名をとった。そのほか、自然を幾何学的構成で描くカーノルトAlexander Kanold(1886―1939)、静物および室内を描くシュリンプフGeorg Schrimpf(1898―1939)らがいる。形而上(けいじじょう)絵画やシュルレアリスムに近いこの派の画面の違和効果をさして、魔的リアリズムとよぶこともある。運動はナチスの迫害によって消滅した。
[野村太郎]
表現主義に対する反動としての現実主義的運動として、文学は、飛行機や自動車、ル・コルビュジエやグロピウスの建築が象徴する合理性、機能性に強い刺激を受けたが、ただそれらを肯定するだけでなく、技術的進歩に即しながら、同時に社会の隠れた矛盾を追究する傾向、一方ではまた人間の自然な生命力を強調する傾向など、簡単には一括できないが、事実性、具体性を重視する点では共通している。E・ピスカートルのドキュメンタリーな舞台、E・E・キッシュのルポルタージュ、伝記的・歴史的小説分野でのR・ノイマン、L・フォイヒトワンガー、戦争小説でのE・M・レマルクやL・レンのほか、この時期のB・ブレヒトのドラマや、流行歌としての詩、A・デーブリンの実験的小説もこの思潮と関連が深い。そのほかドラマではF・ブルックナー、フォン・ホルバート、C・ツックマイヤー、小説ではE・ケストナー、H・ファラダ、A・ゼーガースらがあり、カバレット(ドイツ風キャバレー)などで実演された詩では、W・メーリング、E・ケストナー、T・リンゲルナッツなどの活躍が目だった。
[城山良彦]
『武田忠哉著『ノイエ・ザハリヒカイト文学論』(1931・建設社)』
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第一次世界大戦後ドイツに起こった芸術運動。表現主義に対する反動として,現実を客観的に即物的に描写しようとする。建築では合目的的な美を求め,文学ではドキュメント文学となる。例えばレマルク『西部戦線異状なし』(1929年)。しかし,絵画におけるグロスにみられるように,全体としてこの運動は,形式の革新を追うあまり現実を見失い,皮肉と懐疑のなかに30年代を迎え没落する。
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…ドイツではブゾーニが早くから新古典的な理念を主張しており,第1次大戦後はヒンデミットやK.ワイルがその代表となる。彼らは〈新即物主義〉とも呼ばれ,とくにヒンデミットは〈実用音楽〉という考えを唱えた。社会主義リアリズムでは古典派,ロマン派の音楽がその理想とされ,プロコフィエフやショスタコービチがその政策に従った。…
…色彩と形態とによって自然や人間の内側の世界にある不可視な領域を描き出すことを目ざした両グループはともに表現主義の名で呼ばれ,その系譜はダダやシュルレアリスムを経て第2次世界大戦後のエルンストやマイスターマンGeorg Meistermann(1911‐ )にまで及んでいる。第1次大戦後には,現実を冷静に見つめて,社会の退廃を暴き,人間の不安や孤独を表現する新即物主義の画家(グロッス,ディックス,ベックマンら)の活動が見られた。しかし30年代のヒトラーによる〈退廃芸術〉の弾圧は芸術界の息の根を止め,戦後の美術はいわば白紙状態からの出発を余儀なくされた。…
…56年にはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者として来日した。 彼の作風は明快な楽想,躍動的なリズムによって後期ロマン派の主情主義を一掃し,第1次大戦後〈新音楽〉として迎えられ,〈新即物主義〉と呼ばれる。また芸術至上主義に対して音楽の合目的性を主張し,〈実用音楽Gebrauchsmusik〉を唱えた。…
…この時期のクラシック・レコードにおけるスターは,ストコフスキーでありトスカニーニであった。そして,レコードとの結びつきが,この時期における新即物主義的な演奏様式,すなわち客観性を重んじる表現態度への指向をいっそう強めた(この流れの中にシゲティ,ギーゼキングから第2次大戦後のカラヤンらがある)。 一方,ポピュラー音楽の分野では,いわゆるミリオン・セラーの現象がおこり,このような流行曲を次々と出すことがレコード資本の眼目となった。…
…そして史上まれなほどの多様な文化的可能性の万華鏡が提示されたが,高揚と空虚の混交した創造性は,いわば〈いかがわしさ〉を特徴としていた。
[文学]
文学においては,まず表現主義,続いて新即物主義が流行するが,それは熱病のような〈高揚〉とその後に来るしらけきった〈空虚〉とみることができる。自己を否定する小市民的ラディカリズムのもつ両義性は,解体を通じての解放とファシズムへの転落を内包し,のちにソ連に亡命した知識人の間で,それを肯定的に評価するか否定的に評価するかをめぐって,激しい〈表現主義論争〉を巻き起こすもととなった。…
※「新即物主義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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