タルボット(その他表記)William Henry Fox Talbot

改訂新版 世界大百科事典 「タルボット」の意味・わかりやすい解説

タルボット
William Henry Fox Talbot
生没年:1800-77

イギリスの科学者,写真研究者。ウィルトシャーの生れ。ケンブリッジ大学出身。フランスのL.J.M.ダゲールの銀板写真発明の数年前から写真の研究を開始し,1841年,カロタイプ,後にタルボタイプと名付けた紙写真法をローヤル・ソサエティで発表した。タルボタイプは紙に硝酸銀水溶液を塗って乾かし,次にこれをヨウ化カリウム水溶液に浸してヨウ化銀結晶を紙の上に作る。このままでは紙の感光性が低いので撮影の前に感光紙を硝酸銀,酢酸および没食子酸混合水溶液で処理して増感し乾かして撮影に使う。撮影後,感光紙を再びこの増感液で処理すると現像され,最後に臭化カリウムで定着する。タルボットはこの感光紙に陰画ネガ)を作り,このネガをもう一度感光紙に焼き付けて陽画ポジ)を作るネガポジ法を発明した。このほか,焼出し印画紙,重クロム酸ゼラチン感光材なども考案した。
写真
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「タルボット」の意味・わかりやすい解説

タルボット
たるぼっと
William Henry Fox Talbot
(1800―1877)

イギリスの写真技術開拓者。竜騎兵士官を父とし、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに学び、光学化学の研究に関心をもった。1835年、塩化銀を塗った紙に写真を撮る方法に成功し、紙の陰画から多数の陽画を焼き付ける写真術の基本原理を確立した。さらに1840年、没食子(ぼっしょくし)硝酸銀で潜像を現像する方法を完成し、この方法を「カロタイプ」とよんだ。

 このカロタイプを普及させるために世界最初の写真焼付け所を設立、他方『自然の画筆』(1844~1846)という世界最初の写真版入りの書物を出版した。日本では「トールボット」ともよばれる。

山崎俊雄

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百科事典マイペディア 「タルボット」の意味・わかりやすい解説

タルボット

英国の写真家。ドーセットシャー生れ。ケンブリッジ大学卒業後,1827年にレイコックアビーに移る。1833年に写真の研究を開始,カメラ・オブスクラで得られる像を化学的に定着させる方法を試作。1835年最初の紙ネガの作成に成功。さらに,ダゲレオタイプ公表後の1841年,現在のネガ・ポジ法の原理と同様の,1枚のネガから複数のポジ画像が得られるカロタイプの技法を発表し,その特許を取得した。1844年から1846年にかけて,自身の文章と24枚のカロタイプの作品による世界最初の写真集《自然の鉛筆》(全6巻)を自費で刊行。言語学,考古学にも造詣が深かった。
→関連項目カロタイプ写真

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「タルボット」の意味・わかりやすい解説

タルボット
Talbot, William Henry Fox

[生]1800.2.11. ラコックアビー
[没]1877.9.17. ラコックアビー
イギリスの科学者。ハロー校,ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに学ぶ。 1833年国会議員となったが,翌年引退。写真に深い関心を示し,38年カロタイプ (のちに彼の名をとってタルボタイプ ) と呼ばれる映像定着法を発明し,41年特許を取った。彼の方法を用いると,いわゆるネガからポジを何枚でもつくることができ,写真の発展に大きく貢献した。また考古学にも関心を示し,ニネベ出土の楔形文字の初期の解読者の一人にも数えられている。彼の『自然の鉛筆』 Pencil of Nature (1844~46) は,挿絵に初めて写真を採用した書物である。

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世界大百科事典(旧版)内のタルボットの言及

【アッシリア学】より

…バビロニア語と方言的な差しかないアッシリア語についてもオッペールJ.Oppertは大英博物館に移管されたニネベ文書の中に楔形文字の音価と意味を並記したシラバリーsyllabary(字音表)を発見し,すでに解読されていた文字の確認と修正補充を行い,固有名詞の音価なども決定する論文を85年に発表することにより,文献学的研究の基礎を据えた。1857年,イギリスの王立アジア協会はヒンクス,ローリンソン,オッペール,タルボットW.H.F.Talbotら4人にアッシュールで新しく発見されたアッシリア語碑文を別々に翻訳させ,それらの解読結果が一致したことを公式に確認し,アッシリア学が誕生することになった。1855年以降発掘活動は緩慢になり,アッシリア学者は発掘で得た粘土板の研究に没頭した。…

【アッシリア学】より

…バビロニア語と方言的な差しかないアッシリア語についてもオッペールJ.Oppertは大英博物館に移管されたニネベ文書の中に楔形文字の音価と意味を並記したシラバリーsyllabary(字音表)を発見し,すでに解読されていた文字の確認と修正補充を行い,固有名詞の音価なども決定する論文を85年に発表することにより,文献学的研究の基礎を据えた。1857年,イギリスの王立アジア協会はヒンクス,ローリンソン,オッペール,タルボットW.H.F.Talbotら4人にアッシュールで新しく発見されたアッシリア語碑文を別々に翻訳させ,それらの解読結果が一致したことを公式に確認し,アッシリア学が誕生することになった。1855年以降発掘活動は緩慢になり,アッシリア学者は発掘で得た粘土板の研究に没頭した。…

【写真】より

…たとえば,初めて写真を見た人々が,写真に写された舗道の敷石の数や形が現実と寸分の違いもないことに驚嘆したという話や,1人の肖像を撮るのも2人以上何人撮るのも同じ時間でできるという初期の営業写真家の宣伝文句は,のちに写真の用途が多方面に繰り広げられてゆく前段階の挿話として,きわめて象徴的である。 最初の実用的な写真術としてダゲレオタイプが公表されたのは,1839年8月にフランス学士院で催されたアカデミー・デ・シアンス(科学アカデミー)とアカデミー・デ・ボザール(美術アカデミー)の合同会議の席上であったが,このほかにも多くの研究家(J.N.ニエプス,W.H.F.タルボット,ベイヤール,ウェッジウッド,ハーシェル等)がほぼ同時期におのおのの考案を前後して開発していた。それぞれに方法は違っていても,それらが芸術への利用を目的として開発されている点は同じであったし,後続する写真の開拓者たちの場合も,目標はつねに芸術表現の可能性に向けられていた。…

【フォトグラム】より

…印画紙の上に透明度や厚みの違う物体を置き,これに光を当てて作る画像のことで,物体の形や重なり,光の角度や動き,などの組合せ方により,豊かな諧調と抽象的な形象による画像を作ることができる。歴史的には,ドイツのJ.H.シュルツェ(1727)やイギリスのT.ウェッジウッド(1802)などが感光材料を考案する際に行った実験もフォトグラムの方法によっているといえるが,明確な形では,W.H.F.タルボットのレース模様をフォトグラムにした資料(1839)が,現存する最も古いものだろう。この方法を表現手段として利用した作家で著名なのは,M.レイL.モホリ・ナギで,M.レイはこの方法に自分の名を冠してレイヨグラムRayogramと呼び,多くの作品を残している。…

【焼付け】より

…映画の拡大あるいは縮小焼付けに使う焼付機械をオプチカルプリンターという。写真システムにおいてネガ像から焼付けによって任意の大きさのポジ像を所望の枚数作成する方法をネガポジ法と呼び,1841年イギリスのF.タルボットが考案した。ネガポジ法においてはポジ像を作る焼付け操作において,拡大縮小,あるいは画像の調子,色調などを修正することができ,また多数の陽画を作ることができる点有利と考えられる。…

※「タルボット」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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