ドップラー(読み)どっぷらー(英語表記)Johann Christian Doppler

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ドップラー」の意味・わかりやすい解説

ドップラー(Johann Christian Doppler)
どっぷらー
Johann Christian Doppler
(1803―1853)

オーストリア物理学者、数学者、天文学者ザルツブルクの生まれ。その優れた数学的才能を認めた天文学者スタムファSimon Stampfer(1790―1864)の勧めで1822年にウィーン工科学校へ入学した。しかしその授業内容に飽き足らず郷里に戻って独学した。1835年からプラハの中学校の数学教師となり、1841年プラハ国立工科大学の数学教授についた。この在職中に音響現象と光学現象を研究し、観測者と振動源との相対運動によって振動数が変化することを詳しく調べた。「ドップラー効果」として有名なこの現象は、1842年に発表された著書『二重星の多色光と天体のその他いくつかの光の多色光について』Ueber das farbige Licht der Doppelsterne und einiger anderer Gestirne des Himmelsのなかで正しく解析されている。ドップラー効果の数学的解析の正しさを検証するため、1845年にユトレヒトボイスバロットにより一つの実験が行われた。それは、蒸気機関車トランペット奏者を乗せた無蓋(むがい)貨車をさまざまな速度で引いて通過し、正確に音程を聞き分けられる音楽家が、近づいたり遠ざかったりするトランペットの音の高さを記録するというものであった。この実験で、音に対してはドップラーの公式が成り立つことが判明したが、光に対するドップラーの説明はかならずしも正しくはなかった。光に対しての正しい認識は1848年フィゾーによって行われ、その後の天文学で重要な役割を果たすこととなった。ドップラーは1850年にウィーン大学教授となり、オーストリアに最初に設けられた実験物理学講座を担当した。

[田中國昭]


ドップラー(Albert Franz Doppler)
どっぷらー
Albert Franz Doppler
(1821―1883)

オーストリアの作曲家、フルート奏者。ウィーン、ハンガリーでフルート奏者として活躍、1847年にはオペラ作曲家としても成功した。58年ウィーン宮廷歌劇場首席フルート奏者、65年ウィーン音楽学校フルート教授にそれぞれ就任。約20曲のオペラ、バレエ音楽があるが、現在ではフルート曲が愛好され、とくにピアノ伴奏付きの独奏曲『ハンガリー田園幻想曲』(作品26)が有名。リストの『ハンガリー狂詩曲』の管弦楽編曲者としても知られる。

[美山良夫]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ドップラー」の意味・わかりやすい解説

ドップラー
Doppler, Albert Franz

[生]1821.10.16. レンベルク
[没]1883.7.27. ウィーン近郊バーデン
オーストリアのフルート奏者,指揮者,作曲家。オーボエ奏者の父から教育を受け,1847年ブダペスト歌劇場の首席フルート奏者,58年ウィーン宮廷歌劇場の首席フルート奏者ならびにバレエの指揮者,65年からウィーン音楽院のフルート科教授をつとめた。作品にはオペラ『ユデット』 Judith (1870) を含む数曲のオペラ,バレエ音楽,オーケストラ作品,フルート協奏曲などがあるが,日本ではフルート独奏の小品『ハンガリー田園幻想曲』が愛好されている。

ドップラー
Doppler, Christian Johann

[生]1803.11.29. ザルツブルク
[没]1853.3.17. ベネチア
オーストリアの物理学者。ウィーン工科大学に学び,プラハ国立工業大学数学教授 (1835) を経て,ウィーン大学教授 (50) 。光の振動数と光源の速度との関係を説くドップラー効果を提唱。これはのちに音の現象にも適用された。この現象は,天体観測やメスバウアー効果の測定などに広く用いられている。

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