ドイツ南西部,バーデン・ビュルテンベルク州の州都。人口58万2443(1999)。ネッカー川に近い盆地上の峡谷に発達した起伏の多い都市。ベンツなどの自動車,ツァイスなどの光学機械をはじめ電気・電子・精密機械を含む商工業の中心地。印刷・出版業(コッタ,レクラムなど)でもドイツ屈指の位置にある。州政府,州議会などのほか,連邦国防軍の諸施設,駐欧アメリカ軍司令部の所在地でもある。工科大学,博物館など多くの研究・教育・文化施設も集中している。市域に属するカンスタットCannstattは,ブダペストに次ぐ鉱水産出地として名高い。
シュトゥットガルトの名はこの地域の記録に残る最古の集落名でもあり,ローマ時代にさかのぼる。今日のシュトゥットガルトは,10世紀前半シュワーベン公ヘルマン1世の設置した養馬場Gestütとその少し後に造られた城砦(今日の旧宮城の中核部分)に発するとされる。シュトゥットガルトという集落名が史料に現れるのは1160年ころで,これが1250年ころビュルテンベルク伯ウルリヒ1世によって都市に昇格,以後伯領ないし公領の中心として発展,手工業の中心地となった。16世紀前半の一時期,ウルリヒ公の追放の間シュワーベン同盟ないしオーストリア・ハプスブルク家の手に移ったり,18世紀初期絶対主義を指向したエーベルハルト・ルートウィヒ公が等族の勢力を避けて宮廷を他に移したこともあったが,シュトゥットガルトは18世紀後半カール・オイゲン公の下に栄え,次いでナポレオン1世下のビュルテンベルクの領土拡大とともにその主都としての意義も増大した。19世紀後半に始まる工業化と鉄道網の発達につれて今日の繁栄の基礎がつくられた。
執筆者:魚住 昌良
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ドイツ南西部、バーデン・ウュルテンベルク州の州都。人口58万8500(2002)。シュツットガルトとも書く。ネッカー川中流左岸、北東―南西方向の細長い盆地状の凹地に位置し、市街地の三方は森林や果樹園の多い丘陵地。北東部のみネッカー川に向かって開いており、対岸には大量の湧水(ゆうすい)を誇る鉱泉がある。12世紀から19世紀の間、公爵領、大公領、王国の首都として拡大を続け、政治、経済、文化などの中心地としての機能を高めたが、第二次世界大戦後の1953年以降は州都としての諸機能がますます充実している。その一方で、19世紀末に電気機器のボッシュ、自動車のダイムラーなどが工場を設けてから、商工業を軸とした都市成長も目覚ましく、周辺市町村を合併して市域を著しく拡大し、ドイツでも有数の人口・商工業稠密(ちゅうみつ)地帯をなすネッカー川中流域工業都市群の中核都市となっている。
[朝野洋一]
シュワーベン大公の養馬場からおこり、13世紀に都市となった。15世紀なかばにはウュルテンベルク伯の居住地として栄え、市庁舎や造幣所が建てられて、人口約6000を擁した。16世紀の発展は三十年戦争で中断し、1万の人口は半減した。19世紀にウュルテンベルク王国の首都として政治と文化の中心地になり、19世紀後半から染料、機械、精糖、電気機器、自動車工業がおこった。第二次世界大戦後は一時(1945.7.8~46.12.31)アメリカ占領地区に入った。出版業者コッタ、哲学者ヘーゲル、詩人ウーラント、メーリケらの生地である。
[諸田 實]
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