ドビュロー
Jean Gaspard Debureau
生没年:1796-1846
パントマイム俳優。ボヘミアでアクロバットの芸人の息子として生まれ,一家と共にヨーロッパ中を巡業,1811年パリの定期市の舞台で初めて軽業の芸を見せる。16年パリのタンプル大通りに建てられたフュナンビュール座の出し物に加わり,白塗りの顔に白い衣装をつけたメランコリックなピエロの役柄を再創造して,パリ中の人気者になった。彼の芸は,後に彼の伝記を書いた文芸評論家・小説家のジャナンJules-Gabriel Janin(1804-74)の熱狂的支持の影響もあって,当時の多くの文学者をフュナンビュール座の後援者とさせ,C.ノディエやシャンフルーリなどが台本を提供するほどになった。M.カルネの映画《天井桟敷の人々》に描かれたJ.L.バロー扮するバティストの役は,当時のフュナンビュール座におけるドビュローの人気を忠実に伝えている。彼が創始した近代的なパントマイム芸は息子のシャルルに伝わり,20世紀のM.マルソーにいたるまで一つの芸術ジャンルを形成している。
執筆者:利光 哲夫
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ドビュロー
Deburau, Jean-Baptiste Gaspard
[生]1796.7.31. ボヘミア,コリン
[没]1846.6.17. パリ
フランスのパントマイムの俳優。本名 Jan Kašpar Dvořák。放浪生活ののち,1816年パリのフュナンビュール座に出演,ピエロ役で大当りをとり,T.ゴーチエのような文学者たちからも絶賛された。従来の道化的なピエロを哀感に満ちた抒情的性格に変えた。病をおして死の直前まで舞台に立ち,息子シャルルがその跡を継いだ。 M.カルネの映画『天井桟敷の人々』 (1945) は彼とその舞台を題材にしている。
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ドビュロー
どびゅろー
Jean-Batiste Gaspard Deburau
(1796?―1846)
フランスのパントマイム役者。旅芸人の子としてボヘミアで生まれる。一座とともに1814年ごろパリに帰り、フュナンビュール座で軽業(かるわざ)の端役を演じたのち、25年ごろから黙劇のピエロ役でしだいに人気を集めた。柔軟な身ぶりと表情によって哀愁に満ちた感情を自由に表現し、『金の夢』(1828)や『アフリカのピエロ』(1842)などで大当りをとり、シャルル・ノディエやジョルジュ・サンドなどの文学者にも絶賛された。その子シャルルCharles Deburau(1829―73)も父の後を継いだ。
[安堂信也]
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世界大百科事典(旧版)内のドビュローの言及
【クラウン】より
…18世紀イギリスの貴族,軍人の間で馬の曲乗りが流行し,それが見世物として興行されるようになり,ロンドンに半円形の曲馬場が造られたのが近代サーカスの始まりといわれるが,初期のサーカス・クラウンに影響を与えたのは,当時ロンドンの劇場で人気を博していたコメディアン,グリマルディJoseph Grimaldi(1778‐1837)の愚かしさと狡猾さをつきまぜた絶妙な道化ぶりであった。19世紀のパリでは,フュナンビュール座の道化[ドビュロー](映画《天井桟敷の人々》でJ.L.バローが演じた役)が,白い衣装に白塗りの憂い顔の新しいタイプのクラウンを創造し,大衆のみならず詩人や芸術家を魅了した。20世紀にもピカソやルオーの絵画,またチャップリンやフェリーニの映画の中に,クラウンは魅力的に生きのびている。…
【天井桟敷の人々】より
…《おかしなドラマ》(1937),《霧の波止場》(1938),《日は昇る》(1939),《悪魔が夜来る》(1942)に次ぐジャック・プレベール脚本,マルセル・カルネ監督のコンビの代表作かつ最高傑作であり(このコンビの作品によって代表される当時のフランス映画が〈詩的リアリズム〉の名で呼ばれた),おそらく世界中でもっともよく知られたフランス映画の名作である。 第1部〈犯罪大通り〉,第2部〈白い男〉という2部構成で,1840年代のパリのブールバール・デュ・タンプル(〈犯罪大通り〉の名で呼ばれた)を主要な舞台に,パントマイムを舞台芸術にまで高めた偉大な創始者として知られる[J.G.ドビュロー],ロマン派演劇の名優[F.ルメートル],悪名高き犯罪詩人ピエール・フランソア・ラスネールといった実在の人物が,娼婦ガランスやドビュローが活躍したフュナンビュール座の座長の娘ナタリーといった虚構の人物と入りまじって,まさに虚々実々の恋愛絵巻をくりひろげる波乱万丈の物語である。ガランスにアルレッティ,ドビュローにジャン・ルイ・[バロー],ルメートルにピェール・ブラッスール,ラスネールにマルセル・エラン,座長の娘ナタリーにマリア・カザレスという完ぺきな配役と,彼らを取り巻く俳優陣(伯爵を演ずるルイ・サルー,〈乞食〉のガストン・モド,下宿屋のおかみジャーヌ・マルカン等々)のみごとな演技もあって,フランス映画の不朽の名作となっている。…
【道化】より
…ルイス・キャロルやエドワード・リアのノンセンス文学は,ビクトリア朝における道化の,身をやつした自己表現ともいえる。 19世紀後半のパリの名物は,フュナンビュール座の道化[J.G.ドビュロー]だった(映画《天井桟敷の人々》でJ.L.バローが演じた)。白塗り白衣装のこの〈月に憑(つ)かれたピエロ〉の姿の中に,当時の詩人,画家,作曲家たちはブルジョア社会において疎外された芸術家の自画像を読みとった。…
【ピエロ】より
…18世紀に入るとピエロとジルは混同されて,有名なワトーの絵《ジル》に見るように,青白い犠牲者風の一つの悲劇的ピエロ像に変わってゆく。 定期市の出し物を通じて民衆のもっとも代表的な喜劇的人物となったピエロは,19世紀に入って,パリの通称〈犯罪大通り〉と呼ばれたブールバール・デュ・タンプルの一角に1816年に開場したフュナンビュール座において,[J.G.ドビュロー]の演じるパントマイムの主役として新しく生まれ変わる。ドビュローのパントマイムも,初期は他愛ないドタバタであったが,28年,C.ノディエが彼のために書いた《黄金の夢Le songe d’or》の成功によって,一躍T.ゴーティエ,J.G.ジャナンなど,知識人たちの注目を集めるようになり,ピエロは文学者など知識人の愛好の対象となった。…
※「ドビュロー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」