日本大百科全書(ニッポニカ) 「ドレッド・スコット判決」の意味・わかりやすい解説
ドレッド・スコット判決
どれっどすこっとはんけつ
アメリカの連邦最高裁判所が1857年に下した奴隷制支持の判決。奴隷であったスコットDred Scott(1795ころ―1858)をめぐる裁判で、彼が合衆国市民でもミズーリ州の市民でもなく、連邦裁判所に訴える権利はなく、また北緯36度30分以北における奴隷制を禁止したミズーリ互譲法Missouri Compromise Actは違憲、無効である、という内容のものであった。
ミズーリ州の陸軍軍医の奴隷スコットは、1834年に主人とともにイリノイ州へ移ったが、さらに36年ルイジアナ準州へ、そして38年にふたたびミズーリ州へ戻った。その間、彼の主人は、軍医の未亡人、ついでニューヨーク州のサンドフォードSandfordに変わった。このサンドフォードによって加えられた暴行に対し、スコットは、自由州での居住により自由人となり奴隷ではないから、暴力による侵害が成立するとして損害賠償を求め、提訴していた。南北戦争前夜に下された、奴隷制を積極的に支持する形のこの判決は、アメリカ史のなかでも汚点を残した判決の一つである。しかし、この判決は南北戦争後の憲法修正(1866)によって否定された。
[上田伝明]