翻訳|Berber
モロッコとアルジェリアを中心に北西アフリカ一帯に居住し,ベルベル語を話す民族の総称。カルタゴやローマ帝国の時代にはベルベル人の王国が存在した。アラブ・ムスリムが侵入してくると,しだいにイスラーム化し,11~13世紀にはムラービト朝やムワッヒド朝という大帝国を建国した。アラブ化も徐々に進行し,ベルベル語を話す人々の居住地はしだいに山岳地や砂漠に狭められていった。今日でもモロッコの住民の30%以上(おそらく50%程度),アルジェリアの住民の20~30%がベルベル語を話すが,その多くはアラビア語も理解する。1990年代に入ってから民族意識が強まり,アルジェリアのカビール地方では,国家のアラブ化政策に反対する運動も起こり,またモロッコでもベルベル語の新聞やラジオ放送が認められるようになっている。なお,7世紀に北西アフリカに進出したアラブ人と先住のベルベル人は8世紀初めにイベリア半島を攻略したが,彼らはムーア人(モロ人)と呼ばれた。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…第1期は征服の開始(711)からウマイヤ朝の領州時代の終り(750)までである。ベルベル人の部将ターリク・ブン・ジヤードが711年に,次いでマグリブ総督ムーサー・ブン・ヌサイルMūsā b.Nuṣayr(640‐716∥717)が712年に,相次いでモロッコの海岸から上陸し征服を開始した。西ゴート王国を滅ぼしたイスラム軍の北進は732年,南フランスのトゥール・ポアティエの戦の敗北で一時頓挫したが,その後も定期的遠征を繰り返し,ローヌ渓谷に進出したこともあった(図1)。…
…最高政務官は毎年門閥から選出される2人のスフェテスsuffetes,軍事指揮官は別途選ばれる将軍であったが,実権を握るのは数百名の門閥から成る元老組織,104人から成る裁判委員会であり,独裁者出現の芽は厳しく摘みとられた。民会(市民総会)は有名無実であり,市民の従軍はまれで,イベリア人,バレアレス人等,西地中海諸住民からの傭兵,従属リビア人からの徴兵,ヌミディア,マウレタニアのベルベル人首長からの援軍が軍隊の中核をなした。商人の社会的地位の高さと軍人への評価の低さはギリシア・ローマ社会と対照的である。…
※「ベルベル人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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