デジタル大辞泉
「ナパタ」の意味・読み・例文・類語
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ナパタ
Napata
ヌビアのクシュ王国 (前 750頃~590頃) の首都。ナイルの第4急流の下流,現スーダンのマラウィのあたりに位置する。新王国時代 (前 1567~1085頃) にはエジプトの文化的影響を受け,アモン信仰が広まった。前8世紀頃になるとテーベから来た神官たちの強力な要請のもとにクシュの王たちはリビア人に寸断されていたエジプトを攻撃。特にピアンキ王はエジプトの第 24王朝を倒し,第 25王朝 (前 730頃~656) を発展させ (したがって,この王朝をクシュ王朝,ナパタ王朝と呼ぶ) ,エジプトの中心となった。しかし第4代目の王タハルカはアッシリアのエサルハッドンおよびその息子アッシュールバニパルに敗れ,ヌビアに逃れた。クシュはなおも再興をはかったが,第 26王朝によりナパタは制圧され (前 590) ,クシュの首都はメロエに移り,宗教的中心として命脈を保った。タハルカ王が建造した側面が急斜面のピラミッドとエジプト風の神殿が現存する。
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ナパタ
Napata
スーダン共和国にあるクシュ王国の都市遺跡。前6世紀または前5世紀にメロエに遷都されるまで,王都として栄えた。確実な遺構は未発見だが,ナイル川第4急湍(きゆうたん)下流左岸付近と推定される。対岸のゲベル・バルカルGebel Barkalに第25王朝の創始者ピアンキ王やタハルカ王らの造営になるアメン・ラー神殿,メロエ王朝諸王のピラミッドなどがみられる。
執筆者:中山 伸一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内のナパタの言及
【クシュ王国】より
…ナイル川上流に前9世紀から後4世紀まで栄えた黒人王国。初めナイル川の第4急流の近くのナパタNapataを中心に栄え,前8世紀にはカシュタ王がエジプトを攻撃して,上エジプトの首都テーベを陥れた。カシュタの息子の[ピアンキ]は,父の事業を受け継いで全エジプトの征服を完成した。…
【クシュ王国】より
…ナイル川上流に前9世紀から後4世紀まで栄えた黒人王国。初めナイル川の第4急流の近くのナパタNapataを中心に栄え,前8世紀にはカシュタ王がエジプトを攻撃して,上エジプトの首都テーベを陥れた。カシュタの息子の[ピアンキ]は,父の事業を受け継いで全エジプトの征服を完成した。…
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