ノベール(その他表記)Noverre, Jean Georges

デジタル大辞泉 「ノベール」の意味・読み・例文・類語

ノベール(Jean Georges Noverre)

[1727~1810]フランス舞踊家振付師仮面を排し、パントマイム技法バレエに導入するなど改革に努めた。

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精選版 日本国語大辞典 「ノベール」の意味・読み・例文・類語

ノベール

  1. ( Jean Georges Noverre ジャン=ジョルジュ━ ) フランスの舞踊家、振付師。仮面を排し、パントマイムの技法を導入するなどして、ルイ一四世時代の古典的バレエを改革した。パリのオペラ‐コミック座でデビュー、のちオペラ座の振付師となる。フランス革命のときイギリス亡命した。(一七二七‐一八一〇

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ノベール」の意味・わかりやすい解説

ノベール
Noverre, Jean Georges

[生]1727.4.29. パリ
[没]1810.10.19. サンジェルマンアンレ
フランスの舞踊家。実質的に今日のバレエの基礎を築いた功績者。 L.デュプレに学び,1743年デビュー。 49年最初の振付作品『中国の祭り』をつくり,生涯に 150のバレエを振付けた。また J.ルソー思想を反映した古典的な美の理想を追求する理論を,著書『舞踊とバレエに関する手紙』 Lettres sur la danse et les ballets (1760) で示し,それを果敢に実践。仮面使用の因襲を排撃して,バレエ・ダクシオンといわれる劇中心のバレエを創造,装飾的なコール・ド・バレエを捨て,舞踊とマイムの融合に努力した。急進的であったがためフランスを追われ,イギリス,オーストリアのオペラ劇場で作曲家 C.グルックと組んで数々の作品を生んだ。「バレエのシェークスピア」ともいわれ,76年かつての教え子マリー・アントアネットの招請によって,パリ・オペラ座のバレエ・マスターに就任した。 80年引退後はロンドンでバレエ団を組織。門下に P.ガルデル,A.ブールノンビル,C.ディドロらがいる。

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改訂新版 世界大百科事典 「ノベール」の意味・わかりやすい解説

ノベール
Jean Georges Noverre
生没年:1727-1810

スイス系フランス人の舞踊家,振付師。1743年パリのオペラ・コミック劇場でデビュー,54年《中国の祭》を上演。リヨン,パリ,ロンドン,シュトゥットガルト,ウィーン等各地を遍歴し,約150のバレエを振り付けたが,今日一部の脚本と音楽が残されているだけである。バレエの改革者として重要で,著書《舞踊とバレエについての手紙》(1760)に述べられた理論は今日いまだに有意義である。イギリスの俳優ギャリックと親交を結び,その教えを受けて,バレエ・ダクシヨンballet d'actionを創始した。これは歌や台詞を使わず,黙劇的演技(マイム)により物語の筋や劇的行為を表現するもので,今日の舞台芸術としてのバレエの基本形となった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ノベール」の意味・わかりやすい解説

ノベール
のべーる
Jean Georges Noverre
(1727―1810)

フランスの舞踊家、振付師。パリに生まれる。オペラ座でルイ・デュプレに学ぶ。ダンサーであった時期は短く、27歳から振付師となり、生涯をバレエの改革に努めた。彼の主張はテクニック至上主義のバレエに対する反論であり、舞踊によっていかに演劇的世界が表現できるかにあった。当時イギリスでマイム芸術の第一人者といわれた名優D・ギャリックと親しくしたのもこのためであった。仮面や紋切り型の衣装を排し、身ぶりによるバレエ・ダクションballet d'actionを実践した。1754年ロンドンで『中国の祭り』を上演、60~67年シュトゥットガルトで、その後ウィーンを中心に活躍、76年パリ・オペラ座のバレエ・マスターとなったが、81年イギリスに亡命、1810年故国に戻り没した。著書『舞踊とバレエについての手紙』(1760)に彼の理論が盛られている。

[市川 雅]

『小倉重夫訳『舞踊とバレエについての手紙』(1974・冨山房)』

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百科事典マイペディア 「ノベール」の意味・わかりやすい解説

ノベール

フランス生れのスイスの舞踊家,振付家。バレエの改革者として知られ,バレエ・ダクシヨンballet d'action(歌や台詞によらず,踊りそのものによって劇的要素をもつバレエ)の創始者。その理念は《舞踊とバレエについての手紙》(1760年)に示されている。ヨーロッパ各地を遍歴し,《メディアとイアソン》(1763年),モーツァルト曲の《レ・プティ・リアン》(1778年)など生涯に約150の作品を創作したが,現在それらの作品はすべて失われ,わずかに脚本と音楽の一部が残されている。

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世界大百科事典(旧版)内のノベールの言及

【パリ・オペラ座バレエ団】より

…その後,ペクールLouis Pécourt(1653‐1729),さらにデュプレLouis Dupré(1697‐1774)らが舞踊の技術と様式を発展させてきたが,1720年代にはそれまで優位を占めてきた男性舞踊家に伍して,カマルゴおよびサレMarie Sallé(1707‐56)の女性舞踊手が人気を競った。バレエの改革者ノベールがオペラ座で働いた期間は短かったが,その改革はガルデル兄弟Maximilien Gardel(1741‐87),Pierre G.(1758‐1840)により引き継がれた。1830年オペラ座は私企業的組織に改められ,その支配人となったベロンVéron博士の積極的な行動とともに一気にバレエ・ロマンティック全盛時代をよびおこした。…

【バレエ】より

…これは重く長い衣装の制約を受けていたためで,衣装の長さを縮め,踵のない靴を採用したカマルゴの出現によって,女性舞踊家は初めて跳躍し,敏速な足の動きを見せるのである。 カマルゴに続いて18世紀の後半,ノベールが現れバレエの根本を改革した。彼によって初めてバレエは,今日の原型をもつにいたった。…

【バレエ音楽】より

…その中心地となったのは,パリとモスクワおよびペテルブルグであった。 18世紀半ばころに,パリのノベールを指導者として〈バレエ・ダクシヨン〉が創始された。これはバレエの舞台から台詞と歌を排除し,舞踊とパントマイムをもっぱらオーケストラが支えるといった近代バレエの原型である。…

※「ノベール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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