デュプレ
フランスのオルガン奏者,作曲家。ルーアンで音楽家の両親の間に生まれ,12歳で同地の教会のオルガン奏者となる。パリ音楽院で作曲家・オルガン奏者のF.A.ギルマン〔1837-1911〕,ビドール,ビエルヌらに師事し,1934年ビドールの後を継いでパリのサン・シュルピス教会のオルガニストに就任。1926年からパリ音楽院(コンセルバトアール)教授を務めメシアンらを育てた。1954年―1956年同院院長。J.S.バッハの演奏で知られ,即興演奏にもすぐれた。作品の中心はオルガン曲で,《受難交響曲(サンフォニー・パッション)》(1924年)などが知られる。→オルガン
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
Sponserd by 
デュプレ(Jules Dupré)
でゅぷれ
Jules Dupré
(1811―1889)
フランス、バルビゾン派の風景画家。ナントに生まれる。父親の陶器工場で絵付(えつけ)の仕事を学んだのち、1831年からサロンに風景画を出品。その後、テオドール・ルソーと知り合い、バルビゾンをしばしば訪れるが、フランス各地、とくに北海などの風景に題材をみいだす。1834年のロンドン旅行では、コンスタブルの風景画にも影響を受けた。自然をモチーフに描く彼の世界は、ロマン派的な叙情性と、印象主義の先駆となる筆触とを同時に備える。代表作に『水門』(1855~1860年。オルセー美術館)など。
[中山公男]
デュプレ(Marcel Dupré)
でゅぷれ
Marcel Dupré
(1886―1971)
フランスのオルガン奏者、作曲家。ルーアン生まれ。パリ音楽院を卒業。ノートルダム大聖堂のオルガン奏者を経て、1926~54年パリ音楽院教授、54~56年同院長を務めた。この間世界各地に演奏旅行、卓越した演奏技巧と即興演奏で名声をあげた。作曲家としてはオルガン曲を多く残している。教育者としても優れ、その門からは作曲家のメシアン、女流オルガン奏者のマリー・クレール・アランらが出た。
[岩井宏之]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
Sponserd by 
デュプレ
Marcel Dupré
生没年:1886-1971
フランスのオルガン奏者,作曲家。音楽家の家に生まれる。パリ音楽院でビドールらに学び,1914年ローマ大賞受賞。26年パリ音楽院オルガン教授,54-56年同院長。34年師ビドールの後を継いでパリのサン・シュルピス教会のオルガン奏者に就任。一方,1920年J.S.バッハのオルガン曲全曲演奏を行い,また同年より海外公演を催すなど活発な演奏活動を行った。即興演奏を得意とし,名人芸的な技巧で知られた。オルガン曲を中心に作品も残している。
執筆者:西原 稔
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
Sponserd by 
デュプレ
Dupré, Jules
[生]1811.4.5. ナント
[没]1889.10.6. リーラダン
フランスの風景画家。バルビゾン派に属し,近代フランス風景画の創始者の一人となる。初めセーブルで陶器の絵付工として出発。 1831年サロンに7枚の風景画を初出品。 34年イギリスに旅行して,J.コンスタブルと R.ボニントンから強い影響を受けた。晩年になるにつれてドラマチックな風景画を創作する方向に向い,作品は類型化していった。代表作『嵐のあとで沈む太陽』 (1851,オルセー美術館) など。
デュプレ
Dupré, Marcel
[生]1886.5.3. ルーアン
[没]1971.5.30. パリ
フランスの作曲家,オルガン奏者。ルーアンのオルガン奏者であった父に学び,のち C.ウィドールに師事し,1934年に師の跡を継いでパリのサン・シュルピス聖堂のオルガン奏者となる。 1920年に J.S.バッハのオルガン曲を全曲暗譜で演奏して以来,卓越したバッハ演奏家および即興演奏の名手として知られ,作品にはオルガンのための協奏曲や交響曲などがある。著書『オルガン即興演奏教本』 Traité d'improvisation à l'orgue (1926) ,『オルガン奏法』 Méthode d'orgue (27) 。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
Sponserd by 