ハインドマン
Henry Mayers Hyndman
生没年:1842-1921
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ハインドマン
はいんどまん
Henry Mayers Hyndman
(1842―1921)
イギリスの社会主義者。社会民主連盟の創設者。ロンドンに生まれる。父は法廷弁護士。マルクスの影響を受けて社会主義者となり、1881年民主連盟を創設、さらにこの組織を発展させて社会民主連盟とし、その中心的指導者となった。以後、彼はこれらの組織を通してマルクス主義的な社会主義の理論的紹介、組織化を志したが、その立場はかならずしもマルクスと相和するところとはならず、またその独裁的性格もあって組織運営も円滑には進まず、イギリスの社会主義運動に大きな影響を与えることはできなかった。第一次世界大戦中は愛国主義的立場をとり、1916年に国民社会主義党を結成した。
[岡本充弘]
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ハインドマン
Hyndman, Henry Mayers
[生]1842.3.7. ロンドン
[没]1921.11.22. ロンドン
イギリスの社会民主主義者,イギリス最初のマルクス主義信奉者。ケンブリッジ大学で学び,ジャーナリズムで活動したが,1881年民主連盟を設立してマルクス主義的社会主義の紹介,普及に努めた。南アフリカ戦争に反対し,社会主義インターナショナルの建設にも参加したが,次第に排外的になって第1次世界大戦時には参戦を唱え,新たに国民社会党を組織して戦争に協力した。主著"Economics of Socialism" (1896) 。
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ハインドマン
Henry Mayers Hyndman
1842~1921
イギリスの社会主義者。1881年民主連盟(84年に社会民主連盟と改名)を創立,マルクス主義の紹介,80年代の失業デモの指導などにあたったが,ほかの社会主義者と協力できず,しだいに右傾化して,第一次世界大戦を支持した。
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「ハインドマン」の意味・わかりやすい解説
ハインドマン
英国の社会主義者。1881年民主連盟を結成,マルクス主義を採用,生産手段と生活資料の社会化を主張。のちモリスと決裂後社会民主連盟を結成,指導し,労働運動指導者を育成した。第1次大戦中,社会排外主義に転じ連盟から除名された。
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ハインドマン
Henry Mayers Hyndman
1842〜1921
イギリスの社会民主主義者
マルクス主義を紹介し,1881年民主連盟(84年社会民主連盟と改称)を組織し,第2インターナショナルの結成にも尽力。のちナショナリズムに傾倒し,第一次世界大戦には参戦論を主張。
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ハインドマン
生年月日:1842年3月7日
イギリスの社会民主主義者
1921年没
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世界大百科事典(旧版)内のハインドマンの言及
【社会主義】より
… 一方,先駆的な資本主義の発展を遂げたイギリスでは強力な労働運動が存在しており,自由党と提携して社会立法を成立させる圧力団体的な能力を早くからもっていたために,全国的な社会主義政党の結成についてはかえって他の国に遅れた。H.M.[ハインドマン]の指導する民主連盟(1881成立)は,1884年にマルクス主義的綱領を採択して社会民主連盟と改称するが,同じ年,芸術家W.モリスはエンゲルスの支持を受けて,この連盟を脱退し社会主義連盟を結成する。しかし,いずれも大衆的な支持を受けなかった。…
【社会民主連合】より
…略称SDF。1881年[ハインドマン]主導下に発足した民主連合が84年社会民主連合と改称。同年,党内民主主義と社会主義戦術とをめぐり分裂。…
※「ハインドマン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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