薬物使用をある程度容認せざるをえない人間の行動という認識を前提として、薬物使用を低減するのではなく、薬物使用による二次被害(健康被害や社会的弊害)を低減する公衆衛生政策の理念。略称HR。
今日、ハーム・リダクションが注目されている背景には、従来の法規制と刑罰による薬物政策の限界が明らかになったことがあげられる。今日における国際的な薬物規制の取組みは、第二次世界大戦後、国際連合(国連)主導で行われた、1961年の「麻薬に関する単一条約」をはじめとする薬物関連条約の採択に端を発しており、この条約に批准した国々が、条約を根拠として薬物規制法を成立させてきた。しかし「麻薬に関する単一条約」から50年を経た2011年、各国の元首相や学識経験者を中心に組織された薬物政策国際委員会は、50年に及ぶ厳罰政策の効果に関する評価を行い、厳罰政策が完全に失敗であり、薬物政策の早急な見直しが必要であることを明らかにした。というのも、その50年間、世界中で、規制薬物の消費量や、薬物関連犯罪のために刑務所に収容される者の数は増大し続けており、薬物使用と関連するHIV新規感染者数、さらには薬物過量摂取による死亡者も年々増加の一途をたどっていたからである。
それまでの薬物政策は、もっぱら「国民の薬物使用量を低減させる」ことに焦点が置かれていた。薬物使用量低減のために、サプライ・リダクションsupply reduction(供給低減=規制強化)とデマンド・リダクションdemand reduction(需要低減=依存症治療)という二つの対策が推進されてきたが、いずれの対策にも深刻な欠点があった。過剰な規制強化はブラック・マーケットを肥大化させ、より危険な脱法的薬物の流通を促したばかりか、依存症治療へのアクセスを抑制し、薬物使用者を社会内で孤立させていたのである。また、治療を受けても薬物使用が止まらず、治療から脱落する者も少なくなかった。
こうした状況のなかで、近年、薬物使用量低減政策を補完する政策としてハーム・リダクションが注目を集めている。ハーム・リダクション政策の具体的手法としては、HIV感染予防を目的とした無償注射器交換やヘロイン代替薬処方、過量摂取死防止を目的とした注射室設置や麻薬性鎮痛薬の拮抗薬配布、あるいは、治療や相談支援へのアクセス向上を目的とした違法薬物所持・使用を非犯罪化する試みなどがあり、いずれもその有効性が証明されている。
同時に、ハーム・リダクションは、健康政策における倫理のありようについての問題提起もしている。たとえば、薬物乱用防止という「美名」のもとで、薬物使用者を凶悪犯罪者のように扱ったり、「モンスター」や「ゾンビ」のような恥辱的表現で描いたりするなど、意図的にスティグマstigma(偏見)を強化するような啓発や予防教育を、好ましくない手法として問題視するのである。というのも、こうした社会的スティグマが、地域社会からの排除を促進するとともに、当事者のセルフスティグマ(当事者が自身に対して抱く偏見。自分は人々から差別され嫌悪されているという思い込み)を強化し、援助希求能力を損なうからである。一方で、ハーム・リダクションは、薬物使用者の基本的人権と人間としての尊厳を尊重することを強調し、ピア・サポートpeer support(同じ薬物使用者による当事者支援活動)とアドボカシーadvocacy(薬物使用者のための権利擁護活動)を推奨する。
ハーム・リダクションは薬物政策の国際的潮流を大きく変えた。国連は、2016年の麻薬特別総会において、「世界各地で起こるさまざまな犯罪や暴力は、薬物の使用によるものではなく、むしろ規制の結果」であり、「本来、健康と福祉の向上のためになされるべき薬物規制が、薬物使用者を孤立させ、スティグマを強化している」という声明を出している。国際的には、薬物問題はいまや司法的問題ではなく健康問題とみなされつつある。
[松本俊彦 2023年6月19日]
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