改訂新版 世界大百科事典 「コニヤ」の意味・わかりやすい解説
コニヤ
Konya
トルコ中部の都市,同名県の主都。人口81万0957(2003)。標高1025m,アナトリア中部の交通要路に位置し,トルコの穀倉地帯と呼ばれるコニヤ平原に産する小麦,果物,羊毛の取引・加工地として,また神秘主義教団メウレウィーの本拠のある宗教都市として知られる。
町の建設は古代フリュギアにさかのぼり,ローマ時代にはリカオニア地方の主都としてイコニウムIconiumと呼ばれ,パウロの第1回伝道地の一つであった。11世紀末以後,ルーム・セルジューク朝の首都となり,12~13世紀前半には,イスラム世界と西方キリスト教世界との交易の拠点として繁栄し,宮殿,モスク,マドラサなどの初期のトルコ・イスラム建築に彩られた。1229年ころ,神秘主義思想家ルーミーがこの地にメウレウィー教団を創設し,教団本部にあるルーミー廟は,多くの巡礼者を集め,彼の命日(12月17日)には記念行事が行われる。13世紀中葉に一時期モンゴル軍の侵入を受け,14世紀以後トルコ系カラマン侯国の支配期をへて,1467年にオスマン帝国に編入された。同帝国時代,この町は政治的重要性を失ったが,イスタンブールからシリア,イラクに至る交通路上に位置する商業と宗教の町として知られた。19世紀中葉以後,イスタンブールからシリアへ至る東地中海の航路に蒸気船が就航するとアナトリアの隊商路が衰退し,町はさびれた。20世紀に入ってアナトリア・バグダード鉄道が開通すると,農産物の集散地として復興した。第2次世界大戦後,農業ブームにより町は大きく発展したが,宗教都市としての性格から,宗教勢力・保守勢力の基盤という特殊な性格をもつ。
執筆者:永田 雄三
美術
コニヤには約80の遺構が数えられるが,古典古代およびビザンティン時代のものはなく,大半は13世紀ルーム・セルジューク時代の宗教建築である。コニヤ最大で多柱式のモスク,アラエッディン・ジャーミーAlaeddin Cami(1155-1220・21)と,優れたタイル装飾と壮大なポータル(ピシュタク)で知られるサヒプ・アタ・ジャーミー(テッケ・テュルベ。1269-83)が代表例である。オスマン帝国時代のモスクには,中央会堂式のシェレフェッディン・ジャーミー(1636)とセリミエ・ジャーミー(16世紀前半)が挙げられる。マドラサには,現在,博物館となっている2イーワーン式のシルチャリ・メドレセ(1242-43),特色ある大理石のポータルとタイル張りのペンデンティブで知られるビュユク・カラタイ・メドレセ(1251-52。現,陶器博物館),アラベスクや銘文で豊かに装飾された壮大な石造のポータルを特徴とするインジェ・ミナレ・メドレセ(1258か65-67。一部は博物館としてセルジューク時代の美術を展示)がある。以上のほか,現在イスラム博物館となっているルーミーの修道場(1231。ルーミー廟を含む)が知られる。
執筆者:杉村 棟
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報