アレッツォ(読み)あれっつぉ(英語表記)Arezzo

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アレッツォ」の意味・わかりやすい解説

アレッツォ
Arezzo

イタリア中部,トスカナ州アレッツォ県の県都。フィレンツェ南東約 65km,キアナ川がアルノ川に合流する東部トスカナの肥沃な平野にある。ローマとフィレンツェに高速道路が通じる道路交通の要衝で,農産物の取引と商業の中心地。金細工を輸出。そのほか家具,食品工業が発達。古代エトルリアの重要な都市でアレチウムとローマ人に呼ばれ,前3世紀イタリア北部におけるローマの作戦基地となった。キマイラなどすぐれたアルカイックの青銅像が作られ,アレタイン陶器 (赤色陶器) でも知られていた。中世に栄え,フィレンツェ領を経てトスカナ領となり,19世紀に一時フランスの統治下にあったが,1861年イタリア王国の一部となった。市の周囲はほぼ完全に城壁で囲まれている。近くのピアッツァグランデはかつての市の中心で,広場のまわりには 14世紀以来の宮殿や建物が多い。ゴシック様式聖堂は 1286年に建築を開始,1914年に完成した。市街は第2次世界大戦で大きな被害を受けた。ルネサンスの詩人 F.ペトラルカの生地。人口9万 577 (1991推計) 。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「アレッツォ」の意味・わかりやすい解説

アレッツォ
あれっつぉ
Arezzo

イタリア中部、トスカナ州アレッツォ県の県都。人口9万1582(2001国勢調査速報値)。エトルリア人の主要都市として発足、のちにローマ人の植民地となる。ラテン名アレティウムArretium。11世紀に自治都市となり、14世紀前半に最盛期を迎えたが、その後停滞した。現在では伝統的な金銀細工や衣服の仕立てに加えて、機械工業が発達。さらに周辺の農村地域で生産される農産物の取引の拠点として、重要な役割を果たしている。また市中には中世やルネサンス期の多くの宮殿のほか、ピエーベ・ディ・サンタ・マリア教会(12~13世紀)、サン・フランチェスコ教会(13~14世紀)などがある。詩人ペトラルカの生地としても知られる。

[堺 憲一]

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