バンクロフト(読み)ばんくろふと(英語表記)George Bancroft

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バンクロフト」の意味・わかりやすい解説

バンクロフト
Bancroft, George

[生]1800.10.3. マサチューセッツウースター
[没]1891.1.17. ワシントンD.C.
アメリカの歴史家,政治家,外交官ハーバード大学に学び,その奨学金でゲッティンゲンハイデルベルクベルリンの諸大学に学んだ。新大陸発見からアメリカ独立革命までを描いた『アメリカ合衆国史』 History of the United States (10巻,1834~74) を執筆。「アメリカ史の父」と呼ばれる。政治家としては,初め民主党に属し,J.ポーク大統領のもとで海軍長官 (45~46) ,その後イギリス公使 (46~49) をつとめたが,奴隷制問題で共和党支持に転じ,南北戦争のときは連邦と A.リンカーンを支持した。戦後ロシア公使 (67~71) ,ドイツ公使 (71~74) を歴任。 1876年には6巻に縮小した『アメリカ合衆国史』改訂版を出版。

バンクロフト
Bancroft, Richard

[生]1544.9. ランカシャー
[没]1610.11.2. ロンドン
イギリスの聖職者。 1587年高等宗務官裁判所員に就任,清教徒 T.カートライトらに対するきびしい判決が特に知られる。次いで 89年ポールズクロスで行なった反清教の説教で一躍有名になった。 97年ロンドン主教となり,1604年ハンプトンコートで開かれた宗教会議で主導的役割を演じた。同年 J.ホイットギフトの後任としてカンタベリー大主教になり,清教徒牧師約 300名を職から追放した。 07年 E.クックと争う。 08年オックスフォード大学学長となった。

バンクロフト
Bancroft, Sir Squire

[生]1841.5.14. ロンドン
[没]1926.4.19. ロンドン
イギリスの俳優劇場支配人。 1865年ロンドンでデビュー。 67年劇場支配人のマリー・エフィー・ウィルトンと結婚,夫妻でプリンス・オブ・ウェールズ劇場 (1867~80) ,ヘイマーケット劇場 (80~85) を経営し,多くの劇を上演した。妻との共著に『バンクロフト夫妻・舞台の内と外』 Mr. and Mrs. Bancroft,on and off the Stage (88) ,『60年の思い出』 Recollection of Sixty Years (1909) がある。 97年ナイトの称号を受けた。

バンクロフト
Bancroft, Hubert Howe

[生]1832.5.5. オハイオ,グランビル
[没]1918.3.2. カリフォルニア,ウォルナットクリーク
アメリカの歴史家。 1852年オハイオからカリフォルニアへ移住。サンフランシスコで書籍販売に従事。パナマからアラスカまでの太平洋海岸地域の歴史資料を収集。西部の歴史に関する多くの書物を著わした。主著『北米太平洋岸諸州の原住民』 Native Races of the Pacific States of North America (5巻,1875~76) 。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「バンクロフト」の意味・わかりやすい解説

バンクロフト
ばんくろふと
George Bancroft
(1800―1891)

アメリカの歴史家、外交官。1817年ハーバード大学を卒業後、ドイツのゲッティンゲン大学で博士号を取得。ライフワーク『合衆国史』(10巻、1834~74。1876、1883~85改訂)を著したほか、外交官としても活躍。45年海軍長官としてアナポリス海軍兵学校を創設後、46~49年駐英公使、67~74年駐独公使を務めた。また演説と筆をもってリンカーン大統領を支援。その民主政治への熱烈な信奉、愛国心あふれる筆致のゆえに「アメリカ史の父」と評される。

[池本幸三]

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