ロシアの小説家。ウクライナのオデッサ(現、オデーサ)のユダヤ人商人の家に生まれる。商業学校に通い、家ではユダヤ律法を学ばされる。ユダヤ人虐殺などの幼児体験は短編『初恋』(1925)、『私の鳩(はと)小屋の話』(1927)などで語られる。1915年ペトログラード(サンクト・ペテルブルグ)に出て、翌年雑誌『年代記』に短編を発表するが、編集者ゴーリキーの忠告で「人生勉強」のため創作を中断、食糧徴発隊員などを経てブジョンヌイの第一騎兵隊に従軍、その体験をもとに『塩』『手紙』『ドルグショーフの死』『アポレクさん』など35の短編からなる『騎兵隊』(1926)を書く。流血と破壊の極限的状況下で革命の戦士にも現れる無知、残酷さ、性的放縦などが直視され、同時に失われゆく人間性への憧憬(しょうけい)が独特の文体的魅力で語られるこの作品は、1920年代随一の散文の名手としての彼の声価を定めた。ほかにオデッサのギャングの生態をエキゾチシズムとユダヤ的ユーモアを交えて書いた短編集『オデッサ物語』(1927)、戯曲『日没』(1928)、『マリーヤ』(1935)、『デイ・グラッソ』『接吻(せっぷん)』『ダンテ街』などの珠玉の短編群がある。『騎兵隊』は革命軍を誹謗(ひぼう)したとしてブジョンヌイから非難されたが、ゴーリキーによって擁護された。1934年の作家大会で自身の「沈黙」を自己弁護、1935年にはパリの文化擁護会議にも出席したが、1939年粛清で逮捕、獄死した。スターリン死後、名誉を回復され、1957年に一巻選集が出版された。
[江川 卓]
『木村彰一訳『騎兵隊』(中公文庫)』▽『江川卓訳『オデッサ物語』『わたしの鳩小屋の物語』(『現代ソビエト文学18人集1』所収・1967・新潮社)』
ロシア・ソ連邦の作家。南ロシアのオデッサにユダヤ商人の子として生まれ,商業学校に通うかたわら,家庭でユダヤ語,聖書,ユダヤ律法を学んだ。学校を卒業後,1915年ペテルブルグへ出,最初の短編を《年代記》誌に発表。その後,ゴーリキーの助言により人生を知るために創作をやめ,実社会で働いた。すなわち17年から24年まで,初めは一兵卒として,後にはチェーカー,文部人民委員会,食糧徴発隊,ユデニッチ討伐隊,第1騎兵隊,オデッサ県委員会で働いた。この間の生活体験が作家バーベリの誕生に大きく作用したことは,〈自分の思想をあまり冗漫にならずに,明りょうに表現できるようになった〉と彼自身が告白していることでも明らかである。24年,《芸術左翼戦線(LEF(レフ))》誌に,四つの短編(《塩》《手紙》《ドルグショーフの死》《王様》)を発表して,ソ連の文壇に登場した。その後《騎兵隊》(1926)および《オデッサ物語》(1931)と題する2冊の短編集を刊行,作家としての地位を築いた。これらの短編はロシア革命前のオデッサを舞台に,当時のユダヤ人の生活を独特のスタイルで描いたユニークな作品である。ユダヤ系作家の多いソ連の文壇の中でも特にユダヤ臭の強い作家であったが,39年の春にいわれなき罪状により逮捕され,強制収容所で死んだ。スターリン死後の〈雪どけ〉によって名誉回復され,今日では優れた短編作家として高く評価されている。
執筆者:木村 浩
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