日本大百科全書(ニッポニカ) 「パテール」の意味・わかりやすい解説
パテール(Vallabhbhāī Jhaverbhāī Patel)
ぱてーる
Vallabhbhāī Jhaverbhāī Patel
(1875―1950)
インドの政治家で「インドのビスマルク」と称される。ガンディーと同じグジャラートの出身で、1918年以降その右腕として活動。1928年、グジャラートのバールドーリでの闘争で、政府の地租引上げ政策を撤回させて一躍有名になり、以来「サルダール」(指導者)の名でよばれる。「基本的諸権利」決議採択で知られる1931年の国民会議派カラチ大会では議長を務めた。インドの大資本家たちとの間にガンディーを通じて深いつながりを有し、彼らの会議派への協力を確固たるものにした。また会議派の中央と地方を結ぶ組織体系の確立もその手腕による。ネルーに比して保守的側面が強いが、現実的政治家としてよく彼を補佐し、独立後は副首相、内相を務める。彼の重要な功績の一つは、独立期の大問題であった藩王国統合の実現であり、ハイデラバードやジュナーガドの併合にあたって警察、軍隊導入も辞さなかった。
[内藤雅雄]
パテール(Jean-Baptiste-Joseph Pater)
ぱてーる
Jean-Baptiste-Joseph Pater
(1696―1736)
フランス・ロココの画家。ワトーと同郷のバランシェンヌに生まれ、パリで没。パリではワトーとともに制作(1711~13、および1720)し、いわゆる「雅宴(フェート・ガラント)」を継承するワトー唯一の弟子として1728年アカデミーに入る。ワトー同様、公の仕事には携わらず、美術愛好家の注文を受けて制作した。生涯フェート・ガラントの雰囲気を保ち続けてはいるが、イタリア喜劇、モリエールやラシーヌたちによる発想、オランダ絵画から得た風俗画的な親密感、シナ趣味などを示し、また水浴の牧歌的情景なども制作した。代表作は『公園につどうイタリア喜劇の俳優たち』(ルーブル美術館)、『水浴の女たち』(グルノーブル美術館)など。
[中山公男]