日本大百科全書(ニッポニカ) 「ビアス」の意味・わかりやすい解説
ビアス
びあす
Ambrose Bierce
(1842―1914?)
アメリカのジャーナリスト、小説家。辛辣(しんらつ)無比の風刺家、短編の名手として知られる。オハイオ州の貧しい農民の子に生まれ、早くから、宗教的に厳格な両親や、因襲的な環境に反発し、偏狭な性格をもつに至った。印刷工見習いなどを経て、1861年、南北戦争勃発(ぼっぱつ)とともに志願兵として北軍に加わり、戦場で勇敢な兵士として勲功をあげたが、戦争の悲惨さと死の恐怖を冷徹に見つめる目ももっていた。戦後、サンフランシスコに移り、1868年、同地の週刊紙『ニューズ・レター』の編集長としてジャーナリズムの世界に入る。1872年ロンドンに渡り、皮肉のきいた風刺文を新聞、雑誌などに発表。4年後ふたたびサンフランシスコに戻り、以後20年余り、「ニガヨモギと酸をインキがわりに用いた」といわれる辛辣な筆を縦横に振るった。彼一流のアフォリズムを集めた『冷笑家用語集』(1906刊、1911『悪魔の辞典』と改題)は、風刺家としての一面を代表する。20世紀に入ってからは筆力も衰えをみせ、妻子の死など家庭生活の不幸も重なって、人間嫌いとなる。最後は文明社会アメリカにも絶望して、1913年の秋、革命に揺れるメキシコに旅立ったまま消息を絶った。短編集として、南北戦争を舞台に不条理な死を鋭利な技巧で描いた作品を含む『いのちの半(なか)ばに』(1891)がある。芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)が『点心』で称賛して以来、日本でも愛読者が多い。ほかに超自然現象を扱った『怪奇な物語』(1893)がある。
[渡辺利雄]
短編
「短編小説を組み立てさせれば、彼ほど鋭い技巧家は少ない」と、芥川龍之介にいわせたビアスは、アメリカ文学史上、E・A・ポー、O・ヘンリーと並ぶ短編の名手として知られ、なかでも、南北戦争を背景に死の諸相を描いた短編集『いのちの半ばに』In the Midst of Life(1891)は、彼の並々ならぬ文学的技巧の極致を示している。一分(いちぶ)のすきもなく組み立てられた作品は、結末で読者の意表をつき、人間存在の予測しがたい謎(なぞ)、人生の皮肉をかいまみせてくれる。
この代表作『いのちの半ばに』の巻頭を飾る『空飛ぶ騎士』A Horseman in the Skyでは、敵の斥候となっていた父親を心ならずも狙撃(そげき)する若い兵士の悲劇が描かれるが、読者は狙撃の相手が父親であることを最後まで知らされない。有名な『アウル・クリーク橋の一事件』An Occurrence at Owl Creek Bridgeでは、北軍に捕らえられた南部の農園主が、鉄橋上で縛り首になる寸前、鉄橋から落ちて森に逃げ込み、自宅に戻って妻の出迎えを受ける幻想を一瞬抱く。読者には事実と幻想の区別がはっきりしないままに、突然、妻を抱き締めようとする彼が「首筋に気を失わんばかりの一撃を感じ」たことを告げられ、次の瞬間には「彼の死体は、首が折れたまま、アウル・クリーク橋の横木の下で左右に静かに揺れていた」ことを知らされる。鮮やかな幕切れというほかはない。
[渡辺利雄]
『奥田俊介他訳『ビアス選集』全5巻(1968~1971・東京美術)』▽『飯島淳秀訳『ビアス怪異譚』(1974・創土社/講談社文庫)』▽『西川正身訳『いのちの半ばに』(岩波文庫)』▽『谷口陸男著『文明憎悪の文学者――アンブローズ・ビアス』(1955・研究社出版)』▽『西川正身著『孤絶の諷刺家アンブローズ・ビアス』(1974・新潮社)』