フランスの映画監督。パリ生まれ。29歳で夭折(ようせつ)した。生涯で長編劇映画は『アタラント号』(1934)1本しかつくっていないが、その自由な映画作りは、後のヌーベル・バーグをはじめとして世界中に大きな影響を与えている。父親はアナーキストのジャーナリスト、通称ミゲル・アルメレイダMiguel Almereyda(1883―1917)。父は獄中で亡くなり、不幸な少年時代を送った。肺結核でニースで療養中に、金持ちたちを皮肉に描いた中編ドキュメンタリー『ニースについて』(1929)を撮る。撮影はジガ・ベルトフДзига Вертов/Dziga Vertov(1896―1954)の弟ボリス・カウフマンBoris Kaufman(1897―1980)。1931年に短編ドキュメンタリー『水泳選手タリス』を撮影後、中編劇映画『新学期 操行ゼロ』(1933)を監督し、少年たちの反乱をシュールなタッチで描いた。『アタラント号』はミシェル・シモンMichel Simon(1895―1975)を起用し、船の上で生きる人々を描いた傑作であるが、公開当時はプロデューサーの手によってずたずたに編集された。死後、1951年にフランスで若手監督の優れた作品に与えられる「ジャン・ビゴ賞」が設けられた。
[古賀 太]
ニースについて À propos de Nice(1930)
水泳選手タリス Taris, roi de l'eau(1931)
新学期 操行ゼロ Zéro de conduite(1933)
アタラント号 L'Atalante(1934)
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