フランスの映画監督。ボルドー生まれ。パリで建築を学んだのち、1931年ごろから個人的に映画をつくり始め、陸軍映画班に入ってドキュメンタリー映画に携わった。1937年から1943年までに7本の短編を監督したのち、フランスの鉄道員たちのレジスタンスを描いた『鉄路の闘い』(1946)で注目された。続いてドイツの潜水艦を舞台にした『海の牙(きば)』(1946)、戦争孤児を叙情的に描いた『禁じられた遊び』(1952)など反戦と深くかかわる作品を発表した。ゾラの小説の映画化『居酒屋』(1955)で文学性の高い作品に転じたが、さらにその世界からも離れ、『太陽がいっぱい』(1960)以後は娯楽的傾向を強めた。
[出口丈人]
左側に気をつけろ Soigne ton gauche(1936)
鉄路の闘い La battailledu rail(1946)
海の牙 Les maudits(1946)
鉄格子の彼方 Au dera des grilles(1949)
ガラスの城 Le château de verre(1950)
禁じられた遊び Jeux interdits(1952)
しのび逢い Monsieur Ripois(1954)
居酒屋 Gervaise(1955)
海の壁 Barrage contre le pacifique(1958)
生きる歓び Quelle joie de vivre(1960)
太陽がいっぱい Plein soleil(1960)
危険がいっぱい Les félins(1964)
パリは燃えているか Paris brûle-t-il?(1966)
雨の訪問者 Le passager de la pluie(1970)
パリは霧にぬれて La maison sous les arbres(1971)
狼は天使の匂い La course du lièvre à travers les champs(1972)
危険なめぐり逢い La baby sitter(1975)
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…J.コクトー監督作品。アバン・ギャルド映画《詩人の血》(1930)をつくり,また,中世の伝説的な恋物語《トリスタンとイゾルデ》を現代化したジャン・ドラノア監督の《悲恋》(1943)の脚本を書いたコクトーが,同じ年にドキュメンタリータッチのレジスタンス映画《鉄路の闘い》を撮るルネ・クレマン監督を〈技術顧問〉にしてつくった作品である。 冒頭のコクトー自筆の字幕が〈世界はいま,あらゆるものを破壊し去ろうと熱中しているが,おとぎ話が天国へ寝そべったまま連れていってくれた,あの少年時代の信頼感と素直さとを取りもどしたい〉と述べているように,ルプランス・ド・ボーモン夫人のおとぎ話をコクトー自身が脚色,《鉄路の闘い》のカメラマンでもあるアンリ・アルカン(撮影),画家でファッション・デザイナーのクリスティアン・ベラール(美術),ジョルジュ・オーリック(音楽)らの協力を得て,17世紀オランダの画家フェルメールの画をもとにしたといわれる画調で華麗かつ幻想的に描いている。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...
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