改訂新版 世界大百科事典 「シュリー」の意味・わかりやすい解説
シュリー
Maximilien de Béthune,baron de Rosny,duc de Sully
生没年:1559-1641
フランスの政治家。古くからの貴族の家系であったが,祖父の代より家運が傾き,小所領ロニーを残すのみの没落小貴族の出身である。両親がカルビニズムに帰依し,彼自身も早くより新教派に加わってアンリ・ド・ナバール(のちのアンリ4世)の側近となった。1589年アンリ4世即位とともに重用され,事実上の宰相をつとめ王国の復興に貢献した。農業を重視し,タイユ税軽減や役畜・農具の差押え禁止など農民保護立法を推進した。〈農耕と牧畜はフランスの双の乳房〉という彼の言葉は,農本主義的な思想をよく表している。98年以後は国家財政の責任者となり,ユグノー戦争の混乱の収拾に尽力した。また,国際平和確立のための〈大計画Grand Dessein〉を構想したが,国王暗殺で挫折した。アンリ4世没後は政界を退き,同時代についての貴重な資料である大部の覚書《王国の経営》(1638-62)を残した。
執筆者:二宮 宏之
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報