イタリアの画家,メダル作家。本名アントニオ・ピサーノAntonio Pisano。1395年以前にピサに生まれ,幼いときに母の生地ベローナに移り,おそらく同地でステファノ・ダ・ゼビオStefano da Zevio(1374ころ-?)について修業したものと思われるが,初期の作品にはアルティキエロAltichieroの影響も看取される。1415-22年ベネチアに招かれ,パラッツォ・ドゥカーレでジェンティーレ・ダ・ファブリアーノが着手した連作壁画の制作を引き継いだ(作品は現存せず)。ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノの影響は〈ベネディクトゥス伝〉を描いた4枚のパネル(ウフィツィ美術館)に顕著である。さらにローマでもジェンティーレ・ダ・ファブリアーノの遺言により,彼が未完のままに残した〈バプテスマのヨハネ伝〉(サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂)の壁画を完成(作品は現存せず)させていることから,両者の絆の深さを想像させる。その後フェラーラ,マントバ,ミラノ,ナポリの各宮廷で活躍した。
彼の現存する絵画作品は少なく,《受胎告知》(ベローナ,サン・フェルモ・マッジョーレ教会),《ゲオルギウスと王妃》(ベローナ,サンタナスタシア教会),近年発見された,中世の騎士物語を主題とする壁画(マントバ,パラッツォ・ドゥカーレ)などが残っている。いずれも,ステファノ・ダ・ゼビオから学んだ優雅な線や,ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノのきめ細かな明暗法を基調とした国際ゴシック様式をとどめているが,ルネサンス美術のもつ力強い形態感覚も示している。
また彼の現実に対する鋭い観察は,動物や衣装などを描いた数多くの素描からうかがい知ることができ,それが肖像画やメダルの分野に遺憾なく発揮されている。とくにフィリッポ・マリア・ビスコンティ,パレオロゴス朝のヨハネス8世,リオネロ・デステなどの肖像メダルに見られる繊細な浮彫,輪郭線の類のない端正さ,円形内の像の配置の優雅さなど,彼をイタリアにおけるメダル作家の第一人者とするのにふさわしい。
執筆者:生田 圓
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…このような様式化によって全般的に夢幻的雰囲気をただよわせる一方,挿話的描写を克明に盛りこみ,動植物から季節感(たとえば雪の表現)にいたるまで自然観照に基づく写実が細部に示されているのが,国際ゴシック様式の第2の特色である。この種の自然描写は,北イタリアの画家デ・グラッシGiovannino de’ Grassi(?‐1398ころ)やピサネロなどの残した写生帳や学術・実用書の挿絵に典型的にみられる。これは,イタリア,ネーデルラント,ドイツの都市で経済力を得,教会,王侯と並んで芸術のパトロンとして成長した富裕な市民層の日常感覚の反映を示すものといえる。…
…中世のメダルは素朴な図様で,肉付けも簡単なものであった。 ルネサンスにはいってメダルは新たな発展を遂げ,15世紀イタリアのピサネロはメダルの形式を完成した。代表的なものに,東西両教会の統一を企てたビザンティン帝国パライオロゴス朝のヨハネス8世が1438年東方正教徒20人を従えてローマ教皇エウゲニウス4世のところへきたときの記念として,翌年両教徒の正式会合の光景を表した作がある。…
※「ピサネロ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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