日本大百科全書(ニッポニカ) 「ピーサレフ」の意味・わかりやすい解説
ピーサレフ
ぴーされふ
Дмитрий Иванович Писарев/Dmitriy Ivanovich Pisarev
(1840―1868)
ロシアの批評家。貴族の生まれで、高度の家庭教育を受け、ペテルブルグ大学在学中から評論活動を開始し、卒業後『ロシアの言葉』誌に『19世紀のスコラ学』(1861)、『バザーロフ』(1862)を発表し、一躍論壇の寵児(ちょうじ)となる。知識人として自立するためには、既成の権威や道徳を否定し、エゴイズムに目覚めねばならぬと説く彼のニヒリズムは青少年に大きな思想的感化を与え、その舌鋒(ぜっぽう)の鋭さゆえに「恐るべき子供」とあだ名された。1862年に専制政府批判の檄文(げきぶん)を書いて4年半の獄中生活を送るが、そこでも執筆を継続、世界観を浄化するための武器として従来の哲学にかわる自然科学の普及を目ざし、ロシアでは初めてダーウィンの進化論、コントの社会学を批判的に紹介した。文芸批評の分野でも詩聖プーシキンの権威を否定した『プーシキンとベリンスキー』(1865)、『罪と罰』を社会問題として論じた『生活のための闘い』(1867)、チェルヌィシェフスキーの唯物論美学の限界をついた『美学の破壊』(1865)などロシア文学史上異色の論文を多数残している。主著『リアリスト』(1864)では、反動的政治状況を冷徹に分析し、知力の節約を訴えたが、その真意は理解されず、功利主義的側面のみが受容され、ピーサレフ主義なる流行現象を生んだ。出獄後まもなく遊泳中に溺死(できし)した。
[渡辺雅司]
『金子幸彦訳『生活のための闘い』(岩波文庫)』▽『渡辺雅司著『美学の破壊――ピーサレフとニヒリズム』(1980・白馬書房)』