フェルナンド1世(読み)フェルナンドいっせい[たんれいおう](英語表記)Fernando I

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フェルナンド1世」の意味・わかりやすい解説

フェルナンド1世(端麗王)
フェルナンドいっせい[たんれいおう]
Fernando I, o Formoso

[生]1345.10.31. コインブラ
[没]1383.10.22. リスボン
ポルトガル王 (在位 1367~83) 。ポルトガル・ブルゴーニュ朝のペドロ1世 (厳格王)の長男。 1369年トラスタマラ伯エンリケ (のちのカスティリア王エンリケ2世 ) が異母弟のカスティリア=レオン王ペドロ1世 (残虐王)を暗殺して王位を簒奪すると,王位請求者の一人としてエンリケと悲惨な戦争に突入。 72年義兄であるイングランドのランカスター公ジョン・オブ・ゴーントと同盟した。しかし 82年娘ベアトリスをエンリケの子フアン1世にとつがせた。フェルナンド死後,フアンがポルトガル王位を請求したが,ポルトガルはアビス騎士団長ジョアン (→ジョアン1世〈名王〉 ) を即位させたため,ブルゴーニュ朝は断絶した。

フェルナンド1世
フェルナンドいっせい
Fernando I

[生]1379. メディナデルカンポ
[没]1416.4.2. イグアラダ
アラゴン王 (在位 1412~16) 。カスティリア王フアン1世とアラゴン王ペドロ4世 (儀礼王) の娘レオノルの次男。甥のカスティリア王フアン2世が成年に達するまで 1406年以来摂政をつとめた。その間,アンテケラの難攻不落といわれたグラナダ人の要塞を占領して国土回復運動のうえで有力な勝利を得た (10) 。アラゴン王マルティン1世の死後,フェルナンドはカタルニャ人の強い反対を押切ってアラゴン王となった。一方アラゴン王によるシチリア支配を確固たるものとし,これ以後スペイン継承戦争のときまで約 300年間アラゴン (のちにスペイン) 王位とシチリア王位は1つに合体された。また彼はアラゴンの対立教皇ベネディクト 13世に対する支持を撤回し,教会大分裂の終結に努力した。

フェルナンド1世(大王)
フェルナンドいっせい[だいおう]
Fernando I, el Grande

[生]1016/1018
[没]1065.12.27. レオン
カスティリア王 (在位 1035~65) ,レオン王 (在位 37~65) 。ナバラ (パンプロナ) 王サンチョ3世 (大王)の子。父王の死によりカスティリア王となる。サンチャ (レオン王ベルムド3世の妹,女相続人) と結婚。ベルムドを敗死させレオン王となり,皇帝を名のった (39) 。彼の弟でナバラ王のガルシア・サンチェス3世は父からカスティリア領の一部を与えられていたが,フェルナンドはその領土の回復をはかり,ガルシアを殺して,ナバラを併合 (54) ,またムーア人からコインブラを征服 (64) ,トレドセビリアなどのイスラム小王国を朝貢国とした。

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