日本大百科全書(ニッポニカ) 「ダンケルク」の意味・わかりやすい解説
ダンケルク
だんけるく
Dunkerque
フランス北部、ノール県の都市。人口7万0850(1999)。ベルギー国境に近く、ドーバー海峡に面し、フランス第3の貿易港を有する。鉄道や道路、運河が集まる交通の要地で、ブリューエ・アンナルトア、ランス、リール、ルーベー、トゥールコアン、ドゥエ、バランシェンヌ、ドナンなどの都市とともにフランドル工業地帯を形成している。この地帯には、フランス第1位の出炭量を誇る北フランス炭田があるため、ダンケルクには鉄鋼を中心とした臨海コンビナートがつくられている。また石油精製所、火力発電所などもあり、港湾施設の拡張整備も進んで工業発展の基盤が整備されている。その他の工業としては造船、セメント、食品などが盛ん。
[高橋伸夫]
歴史
7世紀に聖エロアが礼拝堂を建て、960年ごろにフランドル伯が防壁を築いた。ダンケルクの名はフラマン語の「砂丘の教会」に由来し、1067年に史料に初出するが、当時は小漁港にすぎなかった。1384年からはフランドル伯領とともにブルゴーニュ公国に属し、1477年からはオーストリア、ついでスペインの支配を受けた。1646年にフランスが初めて占領するが、その後スペイン、ふたたびフランス、ついでイギリスの支配に属し、1662年になってフランスの支配が確立した。17世紀末には著名な海軍軍人ジャン・バールJean Bart(1650―1702)が、ここを根拠地としてイギリスおよびオランダとの海戦に活躍する。1713年のユトレヒト条約で防壁は撤去されたが、のちに再建され、1793年のイギリス軍の包囲に耐えた。19世紀、とりわけ第三共和政期には港湾都市として目覚ましく発展した。第二次世界大戦中の1940年、ドイツ軍の猛攻下に英仏連合軍33万5000人がここからイギリスへの撤退を遂行したことは有名である。
[江川 温]