フリンカ

百科事典マイペディア 「フリンカ」の意味・わかりやすい解説

フリンカ

スロバキア民族主義的政治家。1889年からカトリックの聖職者を務めた。当時スロバキアはハンガリー支配下にあり,大学におけるスロバキア語の授業や民族的文化団体も廃止され,ハンガリー化が強化されていた。そうした中,スロバキア人にはドイツ人と政治的に対立するチェコ人に対する連帯意識が生じていた。1907年のハンガリー当局とスロバキア農民が衝突したチェルノバー事件を契機に,フリンカはスロバキア民族運動を代表する人物として内外に知られるようになり,第1次大戦末期にはチェコスロバキア国家の形成を支持,1918年10月30日スロバキアがチェコとの統合を宣言した〈マルティン宣言〉に署名した。同年11月スロバキア人民党結成してその党首となる。しかし新しく成立したチェコスロバキア共和国の中央政府はスロバキアの自治を保証せず,フリンカはその中央集権主義と同化政策に激しく反対し,スロバキア人の自治権を要求した。その死後,1939年−1945年のスロバキア共和国時代には崇拝され,第2次大戦後の社会主義時代には否定的に扱われ,1989年の社会主義体制崩壊後は再び評価が高まっている。

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改訂新版 世界大百科事典 「フリンカ」の意味・わかりやすい解説

フリンカ
Andrej Hlinka
生没年:1864-1938

スロバキアの民族主義的政治家。1889年からカトリック聖職者。1906年,反ハンガリー扇動活動の罪で入獄。18年10月30日,スロバキア人がチェコ人との統合を宣言した〈マルティン宣言〉に署名した一人12月ジリナで成立したスロバキア人民党の党首となる。チェコの中央集権主義と同化政策に激しく反対し,チェコスロバキア共和国内のスロバキア人の自治権獲得に尽力した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フリンカ」の意味・わかりやすい解説

フリンカ
Hlinka, Andrej

[生]1864.9.27. スロバキア,チェルノバー
[没]1938.8.16. ブラチスラバ
スロバキアの政治家。カトリック司祭出身。 1905年人民党を結成。ハンガリーの支配に反対して 06~10年投獄。第1次世界大戦後チェコとの統一に反対,パリ講和会議で住民投票を要求。その後人民党を第1,2次両世界大戦間スロバキア最大の政党に育成した。 T.マサリクとのピッツバーグ協定を根拠にスロバキアの自治を強く要求。晩年教権ファシズムに傾き,死後支持者がナチス・ドイツと結んでスロバキアの分離を実現した。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「フリンカ」の解説

フリンカ
Andrej Hlinka

1864~1938

スロヴァキアの民族主義的政治家。1918年10月30日,スロヴァキア人チェコ人との統合宣言に署名。12月にスロヴァキア人民党の党首となる。建国したチェコスロヴァキア共和国内のスロヴァキア人の自治権獲得に尽力した。

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