百科事典マイペディア 「フレスコバルディ」の意味・わかりやすい解説
フレスコバルディ
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イタリアの作曲家,オルガン奏者,ハープシコード奏者。フェラーラに生まれ,1608年,弱冠25歳でローマのサン・ピエトロ大聖堂のオルガン奏者となる。作品は鍵盤曲が大半を占めるが,ルネサンスの伝統的な対位法に基づくファンタジアやリチェルカーレに対して,カンツォーナやトッカータには新しいバロックの精神が示されている。とくに,マドリガルの手法を取り入れた彼独自のトッカータには,就任演奏の際に3万人の聴衆が集まったといわれ,その腕前が最もよく現れている。華麗に妙技を示すかと思えば,次の瞬間には不協和音を鳴らすといったぐあいに,小部分が気まぐれに交代するこの形式については,作曲者自身が演奏法を述べている(《トッカータとパルティータ第1集》1615,序文)。晩年に出版されたオルガン・ミサなどの宗教作品を含む《音楽の華》(1635)は,30年にわたる教会の務めの集大成ともいえよう。
執筆者:関根 敏子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
初期バロックを代表するイタリアの作曲家、オルガン奏者、ハープシコード奏者。9月15日ごろ北イタリアの文化都市フェッラーラで生まれ、同地の宮廷オルガン奏者ルッツァスキに師事したが、1594~96年同地に滞在したジェズアルドの影響も受けた。おそらく1601年、師のルッツァスキとともにローマに出てオルガン奏者兼歌手として活躍し、07年にはサンタ・マリア・イン・トラステベレ教会のオルガン奏者となるが、同年パトロンのベンティボリオに従いブリュッセルに旅している。08年から、43年3月1日の死の直前までローマのサン・ピエトロ大聖堂のオルガン奏者として活躍し、名声をかちえた。アルドブランディーニ枢機卿(すうききょう)の宮廷にも仕えていた。多数の作品のなかでもとくにトッカータ集(1615)は彼の名人芸を伝える作品として知られている。リチェルカーレ集(1615)、カンツォーネ集(1623)も重要だが、『フィオーリ・ムジカーリ(音楽の花束)』(1635)は、バッハをはじめとした後代のドイツの音楽家にも大きな影響を及ぼした。
[樋口隆一]
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出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報
…16世紀の中ごろからモテットの手法を器楽に取り入れる形で発展し,やがて,G.ガブリエリやA.ガブリエリらのベネチア楽派の手で器楽固有の形式として整備されていった。この形式をとくに鍵盤楽器の主要形式へと高めたのはフレスコバルディであり,主題の拡大や縮小,また一つの声部が主題を奏し終わらないうちに他の声部がたたみ込むよう重なっていくストレットを伴ういっそう高度な技法を開拓した。やがてその手法はフローベルガーをはじめとする彼のドイツ人の弟子たちの手でドイツにもたらされ,形式の調的対立感,変化に富んだ主題作法などの作曲法をとるフーガへと形を変える。…
※「フレスコバルディ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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