フレマールの画家 (フレマールのがか)
Maître de Flémalle
生没年:1378か79-1444
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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フレマールの画家
ふれまーるのがか
Maître de Flémalle フランス語
生没年不詳。15世紀ネーデルラントの逸名画家。ヤン・ファン・アイク、ロヒール・ファン・デル・ワイデンと並ぶ初期ネーデルラント絵画の第一世代に属する。リエージュ近郊の、いわゆる『フレマール修道院の祭壇画』と伝えられる3枚の板絵(フランクフルト、シュテーデル美術館)にちなんでこうよばれ、『メローデ祭壇画』やディジョンの『聖誕』を中心とする作品群が同画家に帰される。ワイデンとの様式的類似から、その師トゥールネーのロベルト・カンピンとする説が近年有力である。ヤンと同じくもっとも早く油彩画技法に習熟した画家。空間よりも画平面への意識が強く、鮮やかな色彩で対象の細密な描写を実現する一方で、風景や光の処理では鋭い自然観察を示している。
[保井亜弓]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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フレマールの画家
フレマールのがか
Master of Flémalle
1430年頃活躍したフランドルの画家。フレマールの修道院にあったと思われる祭壇画 (フランクフルトアムマイン,シュテーデル美術研究所) にちなんで呼称される。活躍はヤン・ファン・アイクよりも早く,ネーデルラント・ルネサンスの開拓者ともいえる。この画家を R.ワイデン,または R.カンパンとする説がある。作品は『メローデの祭壇画』 (1425~28頃,ニューヨーク,メトロポリタン美術館) ,『ウエールの祭壇画』 (30年代後半,プラド美術館) 『暖炉衝立前の聖母』 (ロンドン,ナショナル・ギャラリー) などがあるが決定的な学説はない。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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「フレマールの画家」の意味・わかりやすい解説
フレマールの画家【フレマールのがか】
15世紀前半に活動したネーデルラントの画家。生涯や名は不明で,フランドルのフレマール修道院旧蔵といわれる聖母子の祭壇画《フレマールの祭壇翼画》(フランクフルト,シュテーデル美術館蔵)からこの名がついた。豊かな宗教感情,ファン・アイクのあとを継ぐ徹底した写実主義,繊細な色彩を特色とする。
→関連項目ロホナー
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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世界大百科事典(旧版)内のフレマールの画家の言及
【ファン・デル・ウェイデン】より
…ヤン・[ファン・アイク]と並ぶ15世紀前半フランドル絵画の巨匠で,ヤンの透徹した写実に対し,木彫群像を思わせる重厚な構図と涙など真率な感情の表現を特色とする画風は,後世のフランドルないし北方一般の絵画にヤンよりも大きな影響を及ぼした。1427年5月トゥルネーの画家カンピン(おそらく[フレマールの画家])の工房に入門,32年8月親方となり,36年にはすでにブリュッセルの〈市の画家〉と呼ばれた。推定生年からすれば,カンピン工房への入門は27歳ころとなり,当時の慣行では異例に遅い。…
【フランドル美術】より
…しかも精緻な写実に驚くべき技量を見せながら瑣末主義にはおちいらず,フランドル15~16世紀絵画ではむしろ例外的というべきモニュメンタリティを達成している。トゥールネに記録の残るカンピンRobert Campinと近年同一視されている〈[フレマールの画家]〉も,空間表現の整合性では同世代のファン・アイクに一歩を譲るものの,彫塑的人体把握においては同様に革新者たる資格をもつ。カンピンの弟子と推定されるブリュッセルの[R.ファン・デル・ウェイデン]は,中世美術の宗教的力を新しい写実主義と結びつけ,主の〈受難〉を悲しむ人々の憔悴ぶりや頰を伝う涙などをありありと描いて,劇的表現力に満ちた作品を生み出した。…
※「フレマールの画家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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