改訂新版 世界大百科事典 「ロホナー」の意味・わかりやすい解説
ロホナー
Stephan Lochner
生没年:1410ころ-51
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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ドイツの画家。ボーデン湖畔メーアスブルクに生まれたと推定される。1430年以来ケルンに住み、ここで市参事会員として生涯を終えた。彼は繊細優美なケルン画派を代表する画家で、この画派で名前の伝わっている唯一の存在でもある。彼の表現分野は広く、細密画『ダルムシュタットの祈祷書(きとうしょ)』からケルンのドームを飾る大祭壇画に及んでいる。もともとケルン画派の技法はフランドル絵画に影響されてモダンであるが、同時に「つぼみのように初々しい」と形容される聖母の顔に象徴されるように、敬虔(けいけん)な宗教感情の表出に特色がある。彼の場合もフランドルの影響による生彩ある表情や精密なディテール描写もさることながら、名作『バラの籬(まがき)のマドンナ』(ケルン、ワルラフ‐リヒャルツ美術館)にみるように、魂の深い安らぎをたたえた聖母や天使像に神秘主義的ともいえる宗教感情が表現されている。
[野村太郎]
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…《聖布をもつ聖女ベロニカ》にちなんで命名されたこの画家の現存作品は多くはないが,流れるような優美な曲線を生かしたその作風は,当時のいわゆる国際ゴシック様式のドイツ版ともいうべき〈ソフト・スタイルweicher Stil〉を代表し,またそこに漂う温かい人間味と敬虔(けいけん)な宗教性も,ケルン派の特色をよく示している。彼のあとを受けたロホナーはボーデン湖畔の出身であるが,おそらく1430年ころケルンに定住し,ケルン派の代表的画家となった。ネーデルラント旅行の途上デューラーが称賛した《三博士の参拝》(ケルン大聖堂)や《最後の審判》,47年の年記のある《キリストの神殿における奉献》など,多数の人物を配した祭壇画で知られるが,いずれもバックには金地を用いており,同時代イタリアのマサッチョなどに比して,遠近法的な空間表現や人物表現などの点において,ゴシック的装飾性とプリミティブな要素を多分に残している。…
…イギリス王リチャード2世の小祭壇画や,フランス王ジャン(善良公)の肖像画が,当時の宮廷画家の画風をよく伝えている。ドイツの板絵は各地方に多様な発達をし,プラハ,ウィーンはイタリアの影響をうけ,国際ゴシック様式の系統をとり,ケルン派は14世紀に甘美な画風をもってあらわれ,15世紀にロホナーのような大画家を生む。ハンザ同盟諸市は民衆的な率直な画風をむかえ,14世紀から15世紀初めにハンブルクでマイスター・ベルトラムMeister Bertram von Minden(1340ころ‐1415ころ)が名高く,同じころコンラート・フォン・ゾーストKonrad von Soest(1370ころ‐1425ころ)はケルン派の様式をまじえ,マイスター・フランケは国際ゴシック様式に近づいている。…
※「ロホナー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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