ポーランド出身のアメリカの生化学者。ワルシャワ生まれ。ベルン大学で学位を得たのち、パリのパスツール研究所、ベルリン大学、ロンドンのリスター予防医学研究所などで研究し、1915~1923年および1939年以降死亡するまでアメリカに滞在した。1912年ビタミン説を提唱し、栄養上ビタミンの重要性を主張した。つまり脚気(かっけ)、壊血病、そしておそらくペラグラとくる病も、食物中の特殊な物質の不足に起因する栄養失調であるという説を提出した。彼は抗脚気性の物質を確定できなかったが、この物質および他の栄養上の不可欠微量物質は有機塩基かアミンであると考えて、これらをビタミン(vitaminのvita‐は「生命の」「生死にかかわる」という意味)と総称した。その後の研究によって、アミンであるのは抗脚気性ビタミンであるチアミン(ビタミンB1)だけであることが判明したが、彼の命名したビタミンという語は今日でも使われている。
[宇佐美正一郎]
ポーランド生まれのアメリカの生化学者.ワルシャワに生まれる.スイスのジュネーブ大学で生物学,ベルン大学で有機化学を学び,1904年学位を取得.パリのパスツール研究所,ベルリン大学,ロンドンのリスター研究所を経て,1915年ニューヨークへ移住,コロンビア大学の研究員となった.1923年ワルシャワに赴任,やがてパリに移って(1928年)インスリンやニコチン酸など,医薬の製造に携わるとともに私設研究所を設立したが,1939年第二次世界大戦のぼっ発によってふたたびニューヨークに戻り,製薬会社の顧問を兼ねつつ研究を続けた.1912年に米ぬかから脚気治療物質を抽出し,脚気のほか,壊血病,くる病,ペラグラなどそれぞれの病気を予防・治療する微量栄養素をビタミン(vitamine:vital amineの意,アミンとは限らないことが後にわかりvitaminとなる)と名づけた.ビタミン類の研究と製造のほか,性ホルモンの分離やがんの成長に対するホルモンの影響などを研究した.[別用語参照]ホプキンス,鈴木梅太郎
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
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