ブーベ(その他表記)Joachim Bouvet

改訂新版 世界大百科事典 「ブーベ」の意味・わかりやすい解説

ブーベ
Joachim Bouvet
生没年:1656-1730

フランスの宣教師。漢名を白晋もしくは白進という。フランスのルイ14世の命により,ド・フォンタネJean de Fontaneyを団長として中国に派遣された6人のフランス人イエズス会宣教師の一人で,1687年(康煕26)に中国に着き,翌年には北京で清朝第2代の康煕帝に拝謁した。康煕帝の親任を受け,側近にあってユークリッド幾何学などを進講した。康煕帝はヨーロッパの科学文明に深い関心を持ち,さらに多くの宣教師の渡来を望んだ。この仕事のため97年にフランスに帰り,使命を果たして翌年にふたたび中国に赴き,その後は死に至るまで北京に滞在した。キリスト教布教に従事したことはもちろんであるが,康煕帝の下で計画された中国全土の測量に参加し,モンゴル・長城一帯の測量を行った。この仕事は後に《皇輿全覧図》として刊行された。またヨーロッパに中国の事情を紹介したが,ドイツの哲学者ライプニッツが〈易〉の六十四卦と二進法の関係を知ったのは,ブーベの通信による。彼はまた《康煕帝伝》を書いた。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブーベ」の意味・わかりやすい解説

ブーベ
ぶーべ
Joachim Bouvet
(1656―1730)

フランス生まれのイエズス会士。漢名は白晋(はくしん)、白進。ルイ14世派遣の宣教師団の一人として1688年北京(ペキン)に入り、以後布教にあたるとともに宮廷で奉仕し、清(しん)の康煕(こうき)帝にユークリッド幾何学、解剖学などを進講した。1694年いったんフランスに向かって中国を離れた。1698年多数のイエズス会士とともにフランス船で広州に到着した。『皇輿全覧図(こうよぜんらんず)』の作製にあたっては、モンゴル地方、長城一帯の測量を担当した。彼がフランス滞在中に公刊したのが『康煕帝伝』で、清朝史研究に欠かすことのできない名著である。

[矢澤利彦 2018年2月16日]

『後藤末雄訳、矢澤利彦校注『康煕帝伝』(平凡社・東洋文庫)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ブーベ」の意味・わかりやすい解説

ブーベ
Bouvet, Joachim

[生]1656.7.18.
[没]1730.6.28.
フランス出身のイエズス会宣教師。中国名は白進,白晋。康煕 26 (1687) 年,中国の寧波に到着したルイ 14世派遣のフランス宣教師団の一人として,翌年北京に入った。まもなく幾何学その他の学術によって康煕帝信任を得,多くのフランス宣教師の招聘を命じられた。このため同 32年に出発し,同 38年に 10人の宣教師を同伴して中国に帰着した。のち大規模な実測による『皇輿全覧図』 (1717完成) 作成に協力,著書のなかでは『康煕帝伝』 (1697) が,西洋人による中国皇帝観を知るうえで注目される。

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百科事典マイペディア 「ブーベ」の意味・わかりやすい解説

ブーベ[島]【ブーベ】

南大西洋,アフリカ大陸南端から南西方約2400km,南極大陸北方約1600kmにある孤島。1739年フランスの海軍将校ブーベが発見,1825年英国が領有を主張したが,1930年ノルウェー領。無住。約58km2

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