中国、清(しん)の聖祖康煕帝(こうきてい)の命を受けたレジスら西洋宣教師が、三角点を使用して全国を測量したうえで作製した中国全図。測地が開始されたのは1708年で、1717年に完成した。『皇輿全覧図』という名を冠した地図の現存は確認されていない。1927年に金梁(きんりょう)が出版した『満漢合璧清内府一統輿地秘図(まんかんがっぺきしんないふいっとうよちひず)』は、瀋陽(しんよう)の故宮にあった41枚の銅版地図をもとにしたアトラスであるが、この各地図が実は『皇輿全覧図』の部分図であったと考えられ、「全覧図」というのはこれらの部分図を張り合わせたものであったと判断される。横5.28メートル、縦3.2メートルほどの大きさである。パリ国立図書館にも、同一の銅版から印刷された部分図13枚が所蔵されている。この地図の原稿本はパリに送られたというが、行方不明である。最近までわれわれが利用してきた中国地図は、すべてこの宣教師たちの業績に基づいたものである。
[矢澤利彦]
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清の康熙(こうき)帝の命によりつくられた中国全土の地図。レジス,ジャルトゥー,ブーヴェら宣教師が科学的な実測をして1717年に完成。その稿本にもとづきダンヴィルの「シナ新図」ができた。
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…ヨーロッパの地球説や世界地図に対して一部の知識人は好意的な反応を示したが,大勢としては無関心であり,その地理知識を地図上に採用する場合にも,中国の周囲に小さく世界の諸大陸を描くという程度であった。ヨーロッパ式の中国全域図が初めて作られたのは清朝の康熙(こうき)帝のときで,イエズス会士の指導により1718年(康熙57)に完成した《皇輿全覧図》(または《康熙内府図》)と呼ばれる図がそれである。北京を経度0゜とし,梯形図法で描かれている。…
…その結果はジャルトゥによってまとめられ,18年には康熙帝に献上された。これが《皇輿(こうよ)全覧図》であり,中国最初の近代地図となった。中国で印刷され,またそれがフランスに伝わり,デュ・アルドの《中国全誌》などに転載された。…
※「皇輿全覧図」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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