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皇輿全覧図 こうよぜんらんずHuang-yu quan-lan-tu; Huang-yü ch`uan-lan-t`u

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

皇輿全覧図
こうよぜんらんず
Huang-yu quan-lan-tu; Huang-yü ch`uan-lan-t`u

中国,清の康煕帝宣教師など9名に命じて作成させた経・緯度線入りの近代的な中国全図。康煕 56 (1717) 年に完成。その原図はフランスに送られ,ダンビル中国図と呼ばれ,長く中国地図の原本となる。清の高宗のとき改訂され,『内府地図』または『中外一統輿図』と呼ばれ,最近まで最も権威のある中国全図として利用された。『古今図書集成』の「職方典」の地図はこの『皇輿全覧図』を継承している。

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世界大百科事典 第2版の解説

こうよぜんらんず【皇輿全覧図 Huáng yú quán lǎn tú】

中国,清の康熙帝の命によってレジスジャルトゥーらのイエズス会士が完成した中国全図で,1718年(康熙57)に上呈されてこの名を賜った。この地図そのものは残存せず,これに関連する数種の木版・銅版地図があるにすぎない。これらによると,北京の子午線を基準に東西に分度を定め,北極星の高度で緯度を定め,梯形投影法によってつくられている。なお,稿図の一つがフランスにおくられ,銅版中国全図が刊行された。【船越 昭生】

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大辞林 第三版の解説

こうよぜんらんず【皇輿全覧図】

実測による中国全土の最初の地図。清の康熙帝こうきていの命によりフランス人カトリック宣教師らが1717年に完成。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

皇輿全覧図
こうよぜんらんず

中国、清(しん)の聖祖康煕帝(こうきてい)の命を受けたレジスら西洋宣教師が、三角点を使用して全国を測量したうえで作製した中国全図。測地が開始されたのは1708年で、17年に完成した。『皇輿全覧図』という名を冠した地図の現存は確認されていない。1927年に金梁(きんりょう)が出版した『満漢合璧(がっぺき)清内府一統輿地秘図』は、瀋陽(しんよう)の故宮にあった41枚の銅版地図をもとにしたアトラスであるが、この各地図が実は『皇輿全覧図』の部分図であったと考えられ、「全覧図」というのはこれらの部分図を張り合わせたものであったと判断される。横5.28メートル、縦3.2メートルほどの大きさである。パリ国立図書館にも、同一の銅版から印刷された部分図13枚が所蔵されている。この地図の原稿本はパリに送られたというが、行方不明である。最近までわれわれが利用してきた中国地図は、すべてこの宣教師たちの業績に基づいたものである。[矢澤利彦]

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世界大百科事典内の皇輿全覧図の言及

【地図】より

…ヨーロッパの地球説や世界地図に対して一部の知識人は好意的な反応を示したが,大勢としては無関心であり,その地理知識を地図上に採用する場合にも,中国の周囲に小さく世界の諸大陸を描くという程度であった。ヨーロッパ式の中国全域図が初めて作られたのは清朝の康熙(こうき)帝のときで,イエズス会士の指導により1718年(康熙57)に完成した《皇輿全覧図》(または《康熙内府図》)と呼ばれる図がそれである。北京を経度0゜とし,梯形図法で描かれている。…

【レジス】より

…その結果はジャルトゥによってまとめられ,18年には康熙帝に献上された。これが《皇輿(こうよ)全覧図》であり,中国最初の近代地図となった。中国で印刷され,またそれがフランスに伝わり,デュ・アルドの《中国全誌》などに転載された。…

※「皇輿全覧図」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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