デジタル大辞泉 「母」の意味・読み・例文・類語
ぼ【母】[漢字項目]
[学習漢字]2年
〈ボ〉
1 はは。「母子・母性・母体・母胎・母堂・母乳/異母・義母・慈母・実母・生母・聖母・祖母・尊母・悲母・父母・養母・老母」
2 父母の姉妹。「叔母・伯母」
3 母のような存在。「寮母」
4 年老いた女。「漂母」
5 (「
6 物の出てくる所。育った所。もとになるもの。「
〈モ〉はは。「悲母・
〈はは〉「母上・母親」
[難読]
( 1 )ハ行子音は、語頭ではp→Φ→h、語中ではp→Φ→wと音韻変化したとされる(Φは両唇摩擦音。Fとも書く)。これに従えば、「はは」は papa → ΦaΦa → Φawa → hawa となったはずで、実際、ハワの形が中世に広く行なわれたらしい。仮名で「はは」と書かれたものの読み方がハハなのかハワなのかは確かめようがないが、すでに一二世紀の初頭から[ 一 ]①の挙例「古本説話集」など、「はわ」と書かれた例が散見されるから、川のことを「かは」と書いてカワと読むごとく、「はは」と書いてハワと読むことも少なくなかったと考えられる。キリシタン資料を見ると、「日葡辞書」では Fafa(ハハ)と Faua(ハワ)の両形が見出しにあるが、「天草本平家」などにおける実際の用例ではハワの方が圧倒的に多い。
( 2 )一七世紀初頭までは優勢だったハワが滅んで、現代のようにハハの形のみが用いられるようになったのには、次のようないくつかの原因が考えられる。( イ )他の親族名称、チチ・ヂヂ・ババからの類推が働いた。すなわち、これらの親族名称は、二音節語、同音反復、清濁のペアをなす、といった特徴があるから、ババから期待される形はハハである。( ロ )江戸時代には、日常の口頭語で母を意味する語としては、カカ(サマ)・オッカサンなどが次第に一般的となり、「はは」は子供が小さいときに耳で覚える語ではなく、大人になってから習得する語になっていった。( ハ )江戸時代でも、仮名表記する際には「はは」が一般的であり、この表記の影響による。
上代語であり、中古以降は「おもとじ」など複合語の構成要素にのみ見られる。東国では「おも」「おもちち」とともに「あも」「あもしし」「あもとじ」の形が見える。
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
ロシア・ソ連の作家ゴーリキーの長編小説。社会主義リアリズムの典型的作品。最初英文で、1906年12月ニューヨークの『アップレトン・マガジン』誌に連載。ロシア語版は07~08年『ズナーニエ』(知識)文集に発表された。厳しい検閲によって削除された箇所を埋め、完全な形で出たのは17年の生活と知識社版が最初である。実際に1902年ソルモフカでメーデーの際逮捕されたピョートル・ザローモフ母子がモデル。工員パーベルが社会の不公正に反発し、社会主義サークルに参加し、帰宅がしばしば遅くなる。それを母親ペラゲーヤは初め心配する。やがて自宅がサークルの会場になり、盗み聞きするうちに息子たちの正しさを信じるようになる。経費を工員負担で沼地を埋め立てる計画がもちあがり、工員たちは工場側と対立。リーダーの息子は逮捕される。母親がかわりにビラ配りをする。息子の再逮捕後の法廷で母親は息子たちの正しさを訴え、そのため彼女も逮捕され、「真実の火は消えぬ」と叫ぶところで終わる。なお、これを大胆に脚色したプドフキン監督による映画化作品(1926)は、サイレント映画史上の名作として評価が高い。
[佐藤清郎]
『横田瑞穂訳『母』全二冊(岩波文庫)』▽『黒田辰男訳『母』全二巻(1976・新日本出版社)』
アメリカの女流作家パール・バックの中編小説。1934年刊。中国の農民の一人である母は、家族の世話、畑仕事、家畜のめんどうと一日中懸命に働く。ある日、ささいなことで亭主とけんか、亭主は蒸発してしまう。母は亭主の帰りを待つが、やがてあきらめて家事、育児に精を出す。ある日、土地代理人と過ちを犯すが、その件が母の生涯の心のしこりとなる。幼時から眼性が悪く、やがて盲目になり、山向こうの村の白痴に嫁いだ娘の死も眼疾のためかと心を痛める。作者は、不幸な一人の母を通して永遠の母性像を追求する。
[板津由基郷]
『深沢正策訳『母』(1956・創芸社)』
ゴーリキーの長編小説。1906年アメリカで第1部が,翌07年初めにイタリアのカプリ島で第2部が書かれた。最初は1906-07年にニューヨークの《アップルトン・マガジンAppleton Magazine》誌に英訳で発表され,ついで07-08年に検閲でかなりの削除を受けて本国ロシアの《ズナーニエ》文集に連載された。単行本(ロシア語)は1907年ベルリンで刊行された。1901年から02年にかけてニジニ・ノブゴロド(現,ゴーリキー)市とその近郊のソルモボで起きた労働運動に基づいて書かれた小説である。貧しい工場労働者パーベルが革命運動に加わることを恐れていた単純で信仰心のあつい文盲の母ニーロブナは,やがて息子の同志たちの誠実さや犠牲的な精神を理解すると,自らも進んで運動に参加する。レーニンは原稿の段階で読み,07年にロンドンで初めて会ったゴーリキーに,革命運動のためには〈きわめて時宜に適した本である〉と語った。ゴーリキー自身がしばしば語っているように,《母》は文学的には失敗作であったが,革命運動を初めて全体的に取り上げた〈時宜を得た〉作品として世界中の読者の心に訴え,記録的なベストセラーとなり,プロレタリア文学の範例として大きな影響を与えた。なお,32年ブレヒトにより劇化された。
執筆者:川端 香男里
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出典 日外アソシエーツ「動植物名よみかた辞典 普及版」動植物名よみかた辞典 普及版について 情報
…《三文オペラ》と同じくK.ワイルの作曲によって上演されたオペラ《マハゴニー市の興亡》(1929)の注にまずこの理論の輪郭が示される。ナチス登場の前夜には,教育劇《処置》やM.ゴーリキーの同名の小説を劇化した《母(おふくろ)》(1930ころ),《屠殺場の聖ヨハンナ》(1929‐31)のような政治的主題をテーマとした新形式の作品が書かれたが,いずれも観客自身に,提起された問題を考察し認識に達する過程を委ねているのが特色である。 33年2月27日の国会放火事件の翌日亡命したブレヒトは,同年暮にデンマークに落ち着くまでの間にも,バレエ劇《七つの大罪》や寓意劇《まる頭ととんがり頭》を執筆した。…
…あと二つは,〈蒲田調〉と呼ばれる作風の松竹映画と,これに対して〈日活調〉と呼ぶことのできる日活映画であり,ともに現代劇が中心になっている。 松竹の蒲田撮影所からは,《虞美人草》(1921)で人気スターになった栗島すみ子につづいて,川田芳子,五月信子らの人気女優が続出し,日本映画における〈スター・システム〉誕生の転機となったことで知られる栗島・川田・五月共演の《母》(1923。野村芳亭監督)を一つの頂点とするメロドラマが多くつくられた。…
…25年,最初の監督作品としてパブロフの条件反射学説の科学ドキュメンタリー《頭脳の機能的構造》をつくる。つづいてゴーリキーの小説をもとに,ダイナミックなモンタージュで知られる《母》(1926),エイゼンシテインの《十月》と並ぶ革命10周年記念映画《聖ペテルブルグの最後》(1927),モンゴル民族の解放闘争を描いた《アジアの嵐》(1928)によってソビエトのみならず世界映画の先頭に立つ。《母》の製作中に〈モンタージュ〉の理論的体系化に着手し(のち1928年にこれを改訂したものが《映画監督と脚本論》としてベルリンで出版された),28年,まだトーキーを製作していなかったソビエトでエイゼンシテイン,アレクサンドロフと連名の〈トーキーに関する宣言〉を発表して,新しい映画形式の進むべき道は映像と音の対位法的処理にあることを示した。…
※「母」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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