デジタル大辞泉 「プラタイアイの戦い」の意味・読み・例文・類語 プラタイアイ‐の‐たたかい〔‐たたかひ〕【プラタイアイの戦い】 前479年、ギリシャのボイオティア南部、プラタイアイ(Plataiai)で行われたペルシア・ギリシャ両軍の決戦。スパルタの名将パウサニウスが指揮するギリシャが大勝し、ペルシア戦争の勝利が決定的となった。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
精選版 日本国語大辞典 「プラタイアイの戦い」の意味・読み・例文・類語 プラタイアイ‐の‐たたかい‥たたかひ【プラタイアイの戦】 ( プラタイアイはPlataiai ) サラミスの海戦の翌年、紀元前四七九年、ボイオティアの南郡プラタイアイで行なわれたペルシア対ギリシアの陸上の決戦。アテネ・スパルタ連合軍の大勝により、ギリシアのペルシア戦争における勝利が決定的となった。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
日本大百科全書(ニッポニカ) 「プラタイアイの戦い」の意味・わかりやすい解説 プラタイアイの戦いぷらたいあいのたたかい サラミスの海戦(前480)の翌年に戦われたペルシアとギリシアとの陸上の戦い。海戦に敗れたペルシア王クセルクセスは、マルドニオスを将とした陸軍を残してアジアに撤退した。紀元前479年春、アッティカとボイオティアの境にあるプラタイアイPlataiaiで、スパルタのパウサニアスが率いるギリシア軍約8万とペルシア軍約10万とが会戦し、優秀な重装歩兵を擁するギリシア軍の勝利となった。サラミスの海戦に続くこの戦闘で、ギリシアはペルシアの侵入を海陸において最終的に撃退しえたのである。[豊田和二][参照項目] | ペルシア戦争 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「プラタイアイの戦い」の意味・わかりやすい解説 プラタイアイの戦いプラタイアイのたたかいBattle of Plataiai 前 479年アケメネス朝のペルシア軍とギリシア軍との間で行われた戦闘。アッチカ平野と境を接するボイオチア地方の一都市プラタイアイの近郊で戦われた。前 480年ペルシアの第3次ギリシア侵攻が失敗に帰したのち,マルドニオス配下の残留ペルシア軍は,アテネとの講和の試みが失敗すると攻撃に転じ,両軍はプラタイアイで戦闘に突入。ギリシア軍は,パウサニアスの指揮下の約3万 8000のスパルタ,アテネ重装歩兵 (ホプリタイ ) がペルシア騎兵部隊に対して完全な勝利を収めた。マルドニオスは戦死。これ以後ペルシア軍は陸海で敗退を続け,ギリシアの最終的な勝利が決定した。 (→ペルシア戦争 ) 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by
山川 世界史小辞典 改訂新版 「プラタイアイの戦い」の解説 プラタイアイの戦い(プラタイアイのたたかい)Plataiai サラミスの海戦の翌年(前479年)ボイオティアの南部で戦われたペルシア対ギリシアの陸上の決戦。スパルタの将軍パウサニアスの指揮のもとギリシア連合軍はマルドニオスの軍を破り,自由と独立を守った。 出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報 Sponserd by