プレッツォリーニ(読み)ぷれっつぉりーに(英語表記)Giuseppe Prezzolini

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「プレッツォリーニ」の意味・わかりやすい解説

プレッツォリーニ
Prezzolini, Giuseppe

[生]1882.1.27. ペルジャ
[没]1982.7.14. スイス,ルガーノ
イタリアの批評家。プラグマティズムおよびベルグソン,クローチェなどの哲学の影響を受け,1903年『レオナルド』誌,1908年『ボーチェ』誌を創刊,編集。また主要誌紙に寄稿して,第1次世界大戦前の思想界の推進役を果たした。ムッソリーニ親交をもち,参戦論を唱え,やがてファシズムに同調していった。その後も保守派の立場を守りつつ,著作を発表。主著に『イタリア文化』 La cultura italiana (1923) ,『無用のイタリア人』L'italiano inutile (1954) ,『移住者たち』I trapiantati (1963) ,『キリストそして/もしくはマキアベリ』 Cristo e/o Machiavelli (1971) ,『保守派宣言』 Manifesto dei conservatori (1972) ,『脆きイタリア』 Italia fragile (1974) など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「プレッツォリーニ」の意味・わかりやすい解説

プレッツォリーニ
ぷれっつぉりーに
Giuseppe Prezzolini
(1882―1982)

イタリアの評論家。ペルージアに生まれる。パリへ出て、ベルクソンの影響を受けた。帰国後、1903年にパピーニと『レオナルド』誌を創刊。さらに08年には『ボーチェ』誌を創刊して、イタリアが直面する現実を直視して、その改革を訴えるとともに、アポリネール、ベルクソン、マラルメらの紹介に努めた。しかし、しだいにナショナリズムへの傾斜を強め、14年には、同誌にイタリアの第一次世界大戦参戦を促すムッソリーニへの公開書簡を掲載し、戦後はファシズムに接近した。おもな著書に『フィレンツェ人、N・マキャベッリの生涯』(1927)、『スリッパを履いたアメリカ』(1950)、『脆(もろ)いイタリア』(1954)などがある。

[川名公平]

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