ボーチェ(読み)ぼーちぇ(英語表記)La Voce

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ボーチェ」の意味・わかりやすい解説

ボーチェ
La Voce

イタリアの文化雑誌。「声」の意。 1908年,フィレンツェプレッツォリーニにより創刊。『レオナルド』誌の流れをくみ,サルベーミニ,セッラ,クローチェ,ボイネ,ソッフィチチェッキなど当時の主要な知識人が寄稿した。初期はクローチェの影響下に,体制批判の立場から,南部問題,普通選挙法,リビア侵略問題などを論じたが,13年,編集長にパピーニを迎えると,ジェンティーレの影響でナショナリズムに傾き,社会変革を戦争と結びつけるにいたった。同年末,パピーニが離反して『ラチェルバ』誌を創刊し未来派と合流してから,その戦争賛美は一層高まり,後年のファシズム形成の一端をになった。また,14年から 16年の廃刊まではデ・ロベルティスが編集長をつとめ,この時期はもっぱら文学に片寄り,ウンガレッティ,カルダレッリ,カンパーナら新しい詩人を輩出し,マラルメランボーアポリネールなど,ヨーロッパの前衛詩人を数多く紹介した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ボーチェ」の意味・わかりやすい解説

ボーチェ
ぼーちぇ
La Voce

イタリアの文化雑誌。1908年、評論家のプレッツォリーニによって創刊され、初め週刊であったが、13年より半月ごとの発行となる。第一次世界大戦前のイタリアが抱える社会・政治的な問題への積極的な取り組みを目ざし、主導的な役割を果たした。事実、南部問題、普通選挙、教育、リビア戦争などをめぐって活発な論陣を張った。しかし、とくにリビア戦争反対の問題をめぐって同人内部に深刻な対立が生じ、もっとも先鋭な立場をとるサルベーミニが脱退。14年には編集主幹のプレッツォリーニが去り、デ・ロベルティスが後を引き継ぐと、文芸誌としての性格を強め、執筆陣は多彩になったが、社会への影響力は弱まり、16年末に終刊した。

[川名公平]

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