ドイツの化学者。ゲッティンゲン近郊のエリーハウゼン村に、牧師の長子として生まれたが、母アウグステAugusteはゲッティンゲン大学解剖学教授ヘンペルA. F. Hempelの娘であった。1838年コルベはゲッティンゲン大学に入り、ウェーラーに化学を学び、マールブルク大学でブンゼンの助手(1842~1845)、ついでロンドンの鉱山専門学校でプレイフェアLyon Playfair(1819―1898)の助手(~1847)をつとめ、ここで同じく助手をしていたフランクランドと知り合い、1847年秋、彼を伴ってマールブルクに戻った。ブラウンシュワイクの書店で、リービヒ、ウェーラー、ポッゲンドルフ編の『化学辞典』の出版に協力、1851年ブンゼンの後任としてマールブルク大学教授となり、1865年にはライプツィヒ大学教授に就任。
コルベは有機化合物の合成と構造理論に貢献した。ウェーラーに勧められて始めた二硫化炭素への塩素の作用に関する研究を進め、無機物から初めて酢酸を合成し、1845年論文「接合化合物の知識への寄与」を発表、このなかで彼は、リービヒ、ベルツェリウス流の基(き)の説に基づき、酢酸をシュウ酸とメチルとの「接合化合物」gepaarte Verbindungとみなした。ついでフランクランドとの共同研究により、プロピオン酸、ギ酸、安息香酸もシュウ酸との接合化合物と考えた。彼は基を遊離のものと考え、1849年酢酸の電気分解でメチル基を得たと考えたが、実際に得られたのはエタンであり、やがて遊離基は得られないことがわかった。
1853年フランクランドが原子の飽和能の概念を提出、コルベは彼に従って接合化合物の考えを捨て、1857年には脂肪酸および芳香族の酸、ならびにアルデヒド、ケトンを炭酸の誘導体とみなし、1860年にこの考えをまとめた論文を発表、有機構造理論に貢献した。ほかにグリコール酸、乳酸などのヒドロキシ酸、アラニンなどのアミノ酸構造に関する研究、サリチル酸合成(1860)などの業績がある。
[山口宙平]
ポーランドの聖職者。フランシスコ修道会士として、1912~19年にローマのグレゴリア大学で哲学、神学を学び、帰国後、22年からクラクフで『聖母の騎士』誌を発刊した。その後アジアでの伝道を志し、30年来日し、長崎に養護施設「聖母の騎士園」を設立し、伝道に努めた。36年カトリック管区会議に出席するため帰国したが、41年にナチス・ドイツ軍に捕らえられて、オシフィエンチムにあるアウシュウィッツ強制収容所に入れられた。同年8月同室者の脱走によって、見せしめの処刑のために選ばれた10人のうちの1人の身代りとなって、餓死の刑で死亡した。1971年にカトリックの福者に、82年には聖人に列せられた。
[安部一郎]
『アントニオ・リチャルディ著、西山達也訳『聖者マキシミリアノ・コルベ』(1982・聖母の騎士社)』▽『小崎登明著『長崎のコルベ神父』(1983・聖母の騎士社)』▽『ダイアナ・デュア著、山本浩訳『コルベ神父』(1984・時事通信社)』
ドイツの化学者.ゲッチンゲン大学でF. Wöhler(ウェーラー)に学ぶ.在学中,J.J. Berzelius(ベルセリウス)に会い,その理論から大きな影響を受けた.1842年マールブルク大学でR.W.E. Bunsen(ブンゼン)の助手となり,学位を取得.ロンドンの鉱山学校でL. Playfairの助手となり(1845~1847年),そこでS.E. Frankland(フランクランド)と親交を結んだ.帰国後,マールブルク大学(1851~1865年),ライプチヒ大学(1865~1884年)の教授を歴任.後者では当時としてもっとも大きく設備の整った化学実験室をつくった(1868年).1870年からJournal für praktische Chemieの編集者となり,同時代の化学者の研究や学説をしばしば厳しく批判した.すぐれた実験家で,トリクロロ酢酸・ニトリル・脂肪酸などの合成,脂肪酸塩の電気分解(コルベ電解),フェノールと二酸化炭素からサリチル酸の合成など,多くの重要な化合物や反応を発見した.有機化合物の構造の独特の記法を考案して構造式に近づいた.
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
ドイツの有機化学者。F.ウェーラーの門に学び,R.W.ブンゼンの助手となる。マールブルク大学教授を経て,1865年にライプチヒ大学教授に就任した。はじめて明確な無機物質から有機物質〈酢酸〉の合成に成功した。炭酸を基本におき,有機化合物を系統化する独自の理論を展開し,第二・第三アルコールの存在を予測した。彼による脂肪酸塩の電解,サリチル酸の合成はコルベ=シュミット反応として知られている。教育者としてもすぐれていたが,辛辣な批評家でもあり,F.A.ケクレの構造式などに激しく反対した。70年から《応用化学雑誌》の主幹を務めた。
執筆者:神崎 夏子
ポーランドのカトリック司祭,宣教師,殉教者。ズドゥニスカ・ボーラに生まれ,1907年コンベンツァル聖フランシスコ修道会に入り,ローマで勉学。司祭になって帰国後,出版を通じて積極的に布教することをめざす〈無原罪の聖母の騎士〉運動を始め,30年来日し36年まで長崎で活動。41年アウシュビッツで餓死刑に定められた囚人の身代りになって殉教。71年列福,82年列聖された。
執筆者:稲垣 良典
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